「鎌倉殿の13人」 政子への「重すぎる愛」は本物かも? 歴史記録からにじむ大江広元の思いとは
<歴史好きYouTuberの視点>

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義時の死後、政子と伊賀の方が対立すると...

   また、北条義時の死後、次期執権の座を巡って政子と義時の後家・伊賀の方が対立する伊賀氏事件が勃発しますが、この時も広元は政子を支持しています。

   この伊賀氏事件には様々な憶測がありますが、平安・鎌倉時代の常識として、夫が亡くなった後の財産権は、未亡人となった妻=後家が相続する決まりがあります。そう言った意味では伊賀の方が義時の名跡を誰に継がせるかを決定することは、不自然なことではありません。

   これを謀反として糾弾した政子を、広元が全面的に肯定した背景には、もしかするとドラマで描かれたような「愛」があったからかもしれません。

   嘉禄元年(1225)、大江広元は78歳で生涯を閉じました。その約一カ月後に政子もこの世を去ります。

   史料からは、2人の間にどのような感情があったかはわかりませんが、お互いがお互いを信頼し合い、幕府運営に尽力していたことは事実でしょう。

   鎌倉殿の13人も残り僅か、幕府のブレーン大江広元の晩年がどのように描かれていくのか。「重すぎます」と言われた政子との関係に進展はあるのか?(笑)

   今後も目が離せません。

    さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   (追記:参考文献など)今回の参考文献は、『人物叢書 大江広元』(上杉和彦著、吉川弘文館)や『現代語訳 吾妻鏡』(吉川弘文館)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <今回の記事下動画は、本編解説ではなく関連解説ものです。(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。

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