『吾妻鏡』に記されたエピソード
実朝の本心はわかりませんが、この渡宋計画の始まりは陳和卿との出会いからでした。
和卿は、平家によって焼かれた東大寺の再建に尽力した宋の技術者です。1216年に突如として実朝の前に現れ、実朝の夢を言い当てたことでその信頼を得ました。
この和卿が実朝の夢を言い当てたエピソードは『吾妻鏡』にも記されていることですが、あまりにも話ができすぎているため、作為的に仕組まれたものであろうと言われています。
ドラマで描かれたように、実朝の夢日記を何者かが盗み見て、和卿に入れ知恵をしたのかもしれません。
和卿は、東大寺の大仏再建のあと、なにやら東大寺の衆徒たちと揉めてお役御免となっていたようです。
かつて上洛した頼朝が面会を求めた際に、頼朝を「罪深い」と貶した上で面会を拒絶したこともあるように、あまり協調性のないクセの強い人物だったのかもしれません。
もしかしたら、京で立場を失ってしまった和卿が、起死回生を夢見て鎌倉に下ってきた可能性もあります。後白河法皇の側近だった平知康も、朝廷で失脚したのち、鎌倉へ下向して頼家に蹴鞠を教えていたので、珍しいことではないでしょう。
和卿は、なんとか実朝に気に入られようと、このような「夢を言い当てる」という奇跡を演出したのかもしれません。
鎌倉殿としての権威を高めたい実朝、新たな働き口を求めていた和卿、2人の思惑が一致し、このような奇跡が演出されたと思うと、やはり歴史というものは、人の意志で作られてゆくのだと改めて思いました。
残念ながら船が浮かばず渡宋計画は失敗に終わりました。その後の和卿の消息は誰も知りません。大仏再建の功労者も、最後は寂しく余生を過ごしたのかもしれません。
さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非YouTubeチャンネル・戦国BANASHIをご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
(追記:参考文献など)今回の参考文献は、『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』(坂井孝一著、講談社選書メチエ)や『大仏再建-中世民衆の熱狂』(五味文彦著、講談社選書メチエ)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
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++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。