NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の11月6日(2022年)放送回は「第42回 夢のゆくえ」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第42回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?
動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)
渡宋計画への挑戦と挫折
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
鎌倉殿の13人第42回『夢のゆくえ』では、三代将軍・源実朝の壮大な渡宋計画への挑戦と挫折が描かれました。
覚醒した実朝が、御家人たちに命じ、製造させた唐船(貿易のために長距離航行を想定した中国の船)は、海に浮かぶことはなく無惨にも浜で朽ち果ててゆきました。
今回は、実朝の渡海計画や、そのきっかけとなった謎の人物・陳和卿について解説致します。
実朝は、なぜわざわざ船を造り、遥か海の向こう、「宋」の国を目指したのでしょうか?
北条氏の抑圧に耐えかねて、日本から脱出したかった。宋と貿易をして鎌倉幕府を豊かにしたかった......などなどさまざまな憶測がなされていますが、実朝がその理由をはっきりと示した記録は現存していません。
鎌倉殿の13人の中でも、その理由ははっきりと描かれていませんでしたが、実朝が『聖徳太子』を信仰している描写が見受けられました。
これは、『吾妻鏡』にも記録されていることで、実朝は聖徳太子の忌日法要を行うなど、聖徳太子に特別な思いを抱いていたことが分かっています。
聖徳太子もまた、「隋」の国に遣隋使を送り、日本国を発展させました。
太子が建てたことで有名な「法隆寺」も、中国の文化・仏教を取り入れたことで完成されたものです。
実朝は、仏教の力で世を治めた聖徳太子に倣い、自身も仏教の本場である大陸に渡れる船を造りたいと思ったのかもしれません。
また、ドラマの中でも「医王山に詣で、お釈迦様の遺骨を頂いてくる」というセリフがありましたが、これは「舎利信仰」と呼ばれるものを表しています。
「舎利」はお釈迦様の遺骨のことで、「舎利」を所有することが統治者の証となるという考え方が当時あったようです。
和田合戦をきっかけに覚醒した実朝が、統治者としての権威を手に入れるため、
渡宋を企てたのではないか?という推測もできますね。