NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の10月30日(2022年)放送回は「第41回 義盛、お前に罪はない」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第41回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?
動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)
記録上の「和田合戦」とドラマでの描かれ方の違い
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
鎌倉殿の13人第41回『義盛、お前に罪はない』では、鎌倉幕府立ち上げ以来の忠臣・和田義盛の最期が描かれました。
あまりに悲しい結末に、わたくしも涙を禁じえませんでした......こんなのってあんまりだ......
悲しみに打ちひしがれつつも、今回は、記録上の「和田合戦」とドラマでの描かれ方の違いを解説したいと思います。
北条義時の度重なる挑発により、ついに挙兵を決意する和田義盛。
ドラマでは和田義盛とその一族のみが挙兵したかのような描写でしたが、記録上の和田合戦は、和田一族だけの戦いではありませんでした。
『吾妻鏡』において、和田義盛と共にこの戦いの首謀者として挙げられている人物がいます。横山時兼です。
時兼は武蔵国の御家人で、横山党と
呼ばれる武士団を率いて参戦します。
義盛とは縁戚関係で、叔母が義盛の妻、妹が義盛の嫡子・常盛の妻という関係でした。そのほかには、三浦一族である土屋義清が参戦。彼は頼朝の旗揚げ時に参陣した岡崎義実の子です。
さらに、鎌倉の梶原朝景(景時の弟)、大庭景兼(景能の子)らも加わっています。
彼らはみな、頼朝挙兵以来の古参御家人でありながら、その後の政争で失脚してしまった者たちの子弟です。(岡崎・大庭は曾我兄弟の仇討ち事件で失脚、梶原景時は弾劾され滅亡)
北条義時の牛耳る現政権に不満を募らせていたのは、和田一族だけではなかったのです。