「鎌倉殿の13人」 三浦義村と同族・和田義盛の「微妙な関係」とは 和田合戦を読み解く「なるほど」な動機
<歴史好きYouTuberの視点【第40回】>

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   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の10月23日(2022年)放送回は「第40回 罠と罠」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第40回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第40回」解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第40回」解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第40回」解説動画より

謎の人物・泉親衡について分かっていること

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   鎌倉殿の13人第40回『罠と罠』では、侍所別当・和田義盛が起こした和田合戦への道程が、朝廷や北条義時の思惑を交えて描かれました。

   謎の人物・泉親衡による北条義時暗殺計画が発覚。泉親衡の扇動に協力した和田義盛の甥・胤長が、乱の首謀者として流罪になります。

   鎌倉幕府における北条一族の権力を盤石としたい義時は、この事件を利用して和田一族を挙兵させ、謀反人として討伐するという策謀を巡らせたのでした。

   今回は、謎の人物・泉親衡と、北条義時に協力した三浦義村について少し深掘りしてみようと思います。以下は、ドラマの進行を一部先取りする内容も含みます。

   鎌倉殿の13人の中では、「その正体は後鳥羽上皇の差し金、源仲章だった」というかなり攻めた解釈で描かれましたが、記録上の泉親衡は、どのような人物だったのでしょう?

   頼家の遺児・栄実を担ぎ上げ、幕府の打倒(北条義時と実朝の排除)を画策した泉親衡、吾妻鏡上でその出自は「信濃国住人」とだけ書かれており、詳細は不明です。幕府もその正体を掴めておらず、御家人ですらなかった可能性が高いです。(一応、吾妻鏡には御家人として「泉八郎」という人物の名が頼朝上洛の随兵に見えますが、関係性は不明)

   計画が露見した後、親衡は潜伏先で幕府の追っ手に見つかりますが、追っ手の数人を殺害して逃亡。幕府は親衡を捕らえようと街路を封鎖するなどしますが、結局見つからず、親衡は雲隠れしてしまいます。

   そして、その後の歴史上には一切現れない謎の人物です。

   丁度この頃、朝廷と幕府は閑院内裏の再建や、賀茂川の堤の修造などで揉めており、その連絡役を務めていたのが源仲章でした。

   実際に、泉親衡が源仲章だったというのは考えにくいですが、完全に否定できる材料もありません。この騒動を朝廷側の謀略として描いた脚本は、さすがとしか言いようがありません(笑)

   そして、この泉親衡の乱がきっかけで、鎌倉幕府最有力御家人の一人、和田義盛が追い詰められることになりました。

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