「鎌倉殿の13人」 牧の方(りく)、歴史記録上はどんな女性だったのか 失脚後はどうなる?
<歴史好きYouTuberの視点【第38回放送】>

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   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の10月2日(2022年)放送回は「第38回 時を継ぐ者」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第38回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第38回」解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第38回」解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第38回」解説動画より

一族の京都人脈

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   鎌倉殿の13人第38回『時を継ぐ者』では、主人公義時の父、北条時政の失脚が描かれました。頼朝の挙兵を支え、鎌倉幕府を作ってきた伊豆の豪傑。数々の争いを乗り越え、執権にまで上り詰めた時政も、最後は権力に溺れ、自滅してしまいました。盛者必衰とはまさにこのことです。

   そんな時政を焚きつけてきた、若き妻・りくも愛する夫と共に鎌倉を去りました。

   今回は、歴史の記録上のりく=「牧の方」がどのような人物だったのか。鎌倉を去ったその後についてお話しようと思います。

   牧の方は、駿河国大岡庄の出身と言われています。

   この大岡は、京都との文化的な交流が盛んだったことが遺跡の発掘調査によりわかっており、交通の要衝(東海道)として栄えていたと思われます。

   また、牧の方の兄(もしくは父)とされる牧宗親は「武者所」と呼ばれており、これは京都を警固する御役目なので、牧一族と京の繋がりは深かったと考えられます。

   このようなことから、ドラマ上でも牧の方は京風の雅な女性として描かれたのでしょう。

   時政は義経失脚後に上洛し、後白河法皇と渡り合って守護地頭の設置を認めさせるなどの活躍をしていますが、その裏には牧の方のサポートがあったのかもしれません。

   さらに、時政と牧の方の娘たちは京の貴族にも嫁いでいますが、これも牧一族の人脈によるものではないかと推測できます。

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