アントニオ猪木さん「24時間テレビ」秘話 羽鳥慎一が明かした「予定外」のコト

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   元プロレスラーで政界でも活躍したアントニオ猪木さんが1日(2022年10月)、79歳で亡くなった。今日3日の「モーニングショー」はテレビ朝日秘蔵映像を元に、リングの上と国際舞台で闘った猪木さんの人生を振り返った。

   1972年に新日本プロレスを旗揚げしたアントニオ猪木さんは、プロレスブームに乗って黄金時代を築き上げた。番組では81年のスタン・ハンセン戦、88年の藤波辰爾戦、75年のタイガー・ジェット・シン戦、74年のアンドレ・ザ・ジャイアント戦を紹介した。

  • アントニオ猪木さん(2020年撮影)
    アントニオ猪木さん(2020年撮影)
  • アントニオ猪木さん(2020年撮影)

玉川徹「最後まで闘う姿を見せた」

   猪木さんの試合で社会現象にもなったのが、プロボクサー、モハメド・アリとの異種格闘技戦。この試合はプロレス技のほとんどを禁止された猪木さんが、スライディングしながらローキックを繰り返すという異例の展開に。最終的には引き分けとなったが、64発のローキックをヒットさせた猪木さんに対し、アリの有効打はわずか3発だった。2人はこの試合をきっかけに友情が芽生え、アリは猪木入場のテーマソング「炎のファイター INOKI BOM-BA YE」を送った。

   猪木さんは、89年に参院選に出馬し当選、政界でも活躍した。スポーツを通じた国際平和を掲げ、90年のイラクによるクウェート侵攻で日本人41人が人質となった際には戦時下のバグダッドに向かい、平和の祭典プロレス大会を開催。その後日本人人質全員が解放された。

   95年には北朝鮮を訪問、平壌でプロレス大会を開催した。2004年にも北朝鮮を訪問したが、現地では猪木さんの銅像や切手が作られるほどの人気ぶりだった。その後も何度も訪朝した猪木さんは「向こうの本音の話を聞いて、それを生かすか生かさないか日本の国や政府の役割だ」と語った。

   晩年は病気との戦いとなったが、猪木さんは闘病生活をYouTubeなどで発信した。亡くなる10日前の9月21日に撮影された動画で猪木さんは「だいたい見せたくないでしょ、こんな樣を。普通は。でも、あるがままでいいじゃん。みんなに見てもらって、弱い俺を。今、手近でやれること。世界のゴミを消していくこと」と語った。

   石原良純(タレント)「病床にありながらのメッセージみると、やり切られた方は格好良く見える。スタイルを貫き通した。人を惹きつけたものがあると感じる」

   山口真由(弁護士)「政治家としての印象も強い。北朝鮮に何度も行かれたのは賛否もあるが、猪木さんは日本の世論だけではなく相手国の視点を理解しながら進めていこうとされていた。『拉致担当大臣が10人も変わるようじゃだめだ。俺は朝鮮労働党幹部と長期的な人間関係を作っている』という言葉は日本の政治が反省すべきところ。外交官的視点に立って世界との関係を構築しようとした」

   玉川徹(テレビ朝日)「最後まで闘う姿を見せた。プロレス、国会議員、病気。見せたくないと本人もおっしゃっていたが、闘う姿を見せたということ」

   司会の羽鳥慎一「24時間テレビで、『この弱い姿を見せることで、俺が闘っている姿を見せることで元気になる人がいるんだよね』。24時間テレビで、猪木さんのコーナーは大変なので、質問も答えも一言一句変えないで行ってくださいといわれていた。でも猪木さんが来たら自由にずっとしゃべり始めてやっぱりすごかった。亡くなるまで闘った方だなとあらためて思いました。

(みっちゃん)

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