プロレス界で「燃える闘魂」と言われたアントニオ猪木氏(79)が1日(2022年10月)死去した。3日の「スッキリ」は、猪木氏が2000年に出版した詩集「馬鹿になれ」からをはじめ、遺した名言を特集した。
猪木さんの詩集「馬鹿になれ」のなかの「ブラジルのコーヒー豆」から。
「来る日も来る日も枝をしごき、手のひらを血だらけにして、コーヒー豆をかき落とす」「いずれコーヒー豆は身を焦がし、世界のどこかで君に会う」「洒落たカップに薫りを立たせ、さあ、もうすぐ希望のカーニバルだ!」
今年の「24時間テレビ」では...
1943年横浜市生まれ。13歳の時に一家でブラジルに移住した。その後プロレスラーの力道山にスカウトされて帰国。17歳でプロレスデビューした。72年、新日本プロレスを旗揚げ。「延髄斬り」「卍固め」。76年にはボクシング・ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと異種格闘技世界一決定戦。「世紀の一戦」という詩では、
「すべてを賭けた男が挑む意地の闘い。そんな興奮も闘いが終われば、空しく観客の波の中へと去って行った」「傷ついた男の心は、肉体に受けた傷の痛みさえ感じないほど、衝撃で打ちひしがれていた」。98年にプロレスラーを引退。
一方で、89年には政界進出。スポーツ平和党を立ち上げるなど、参院議員を2期務めた。90年には湾岸戦争直前のイラクに単身乗り込み、「人間の盾」とされた日本人解放に尽力した。95年には北朝鮮でプロレス大会「平和の祭典」を開催。2日間で38万人を集めた。
「話し合いなくして、何の解決ができるんですか」「人と人が交流して腹の割った政治。行けばわかる」。「馬鹿になれ」では、「馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ。恥をかけ、とことん恥をかけ」「かいてかいて恥かいて、裸になったら見えてくる。本当の自分が見えてくる」「本当の自分も笑ってた。それくらい、バカになれ」
2018年、難病の「心アミロイドーシス」に。
今年8月、最後のテレビ出演となった「24時間テレビ」では、「かっこ悪い部分も見られる。それがあるがままだから、それでいいよと。手紙の中に、かっこいい!かっこいい!って。この状態で何がかっこいいんだよ。でもファンの人たちはありがたい」
歌手の桑田佳祐さんが、言葉を寄せた。「今宵の三日月が、きれいな三日月が、あの人のお顔に見えてしまいました」「猪木さんに関しては図々しいですけれど、親兄弟失ったような感覚でして、私の青春もこれで終わったような気がします」
(栄)