「鎌倉殿の13人」 2代目将軍・頼家の「生々しい」最期 吾妻鏡では「あっさり」だが...
<歴史好きYouTuberの視点【第33回 修善寺】>

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   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の8月28日(2022年)放送回は「第33回 修善寺」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第33回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第33回」解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第33回」解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第33回」解説動画より

ドラマでは善児と対決し、「見事な散り際」

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   鎌倉殿の13人第33回『修善寺』では、2代目将軍頼家の最期と、まさかの善児退場が描かれましたね。

   数々の主要キャラを暗殺し、視聴者を恐怖のどん底に突き落としたオリジナルキャラ善児の退場は、鎌倉殿の13人屈指の名シーンだったと思います。

   そんな善児の最期に全てをかっさらわれた感じが否めないですが、頼家も見事な散り際でした。この記事では頼家の最期について、歴史的な史料にはどのような記録が残されているのか解説していきます。

   まずは、鎌倉幕府の準公式史料と言える『吾妻鏡』。

   元久元年(1204)7月19日条には、「伊豆国から飛脚が参着し、頼家が修禅寺で亡くなったことが鎌倉に伝えられた」ということが簡単に書かれているだけです。同月24日に頼家の御家人らが謀反を企てていたことが発覚し、北条義時によって誅殺されたことが記されていますが、頼家自身の最期については記述がありません。

   京で活動した慈円僧正が書いた『愚管抄』には、頼家の壮絶な最期が生々しく記されています。

   鎌倉に頼家薨去の知らせが届く前日の7月18日、(おそらく義時の手の者が)修禅寺において頼家を刺し殺した――と記されています。

   さらに、頼家の激しい抵抗にあったのでしょう、簡単には殺すことができず「首に紐をつけ、ふぐり(陰嚢)を取るなどして殺した」と伝えられたといいます。

   『吾妻鏡』と『愚管抄』でこれほどまでに扱いに違いがあるのは、やはり『吾妻鏡』が頼家の殺害を記すことを憚ったからだと考えられます。

   『吾妻鏡』では頼家が暗君であることを強調するような記述が散見されますが、それも北条義時が頼家を殺害したことを、少しでも肯定したいからではないでしょうか。

   そうなると、『愚管抄』の生々しい記録が真実に近いのではないでしょうか。

   ドラマでは、頼家が後鳥羽上皇に倒幕の院宣を求める使者を送っていたことが発覚し、やむなく殺害されるという流れになっていましたが、実際に頼家が朝廷と連絡を取っていたかはわかりません。しかし、慈円に頼家殺害の様子が詳しく伝わっていることから、頼家の周辺には朝廷の関係者がいた可能性は高いと考えられます。

   また、南北朝時代に編纂された『保暦間記』では、頼家は北条時政の命によって、入浴中に殺害されたと記されており、さらに、伊豆の光照寺には頼家の顔を模して掘られた「病相の面」というお面が現存しています。このお面には、「風呂に漆を入れられたため、全身が皮膚炎となり醜く腫れた頼家の顔を表している」という伝承があります。

   このように頼家の最期には様々な記録がありますが、ほぼ一貫しているのは北条の手の者によって殺されたという事です。

   頼朝から、子々孫々と将軍家を支えることを期待された北条が、頼家を殺害したことは、歴史の生んだ悲劇です。

   修善寺では、毎年7月に頼家を供養する「頼家まつり」が開催されているそうです。(2022年は残念ながら中止)いずれ私も参加したいと思っております。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非動画をご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

【追記:参考文献など】今回の参考文献は、『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(坂井孝一著、PHP新書)、『鎌倉幕府抗争史~御家人間抗争の二十七年~』(細川重男著、光文社新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

<第33回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。

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