「鎌倉殿の13人」 頼家の子供、一幡と善哉以外はどうなった?
<歴史好きYouTuberの視点【第32回 災いの種】>

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   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の8月21日(2022年)放送回は「第32回 災いの種」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第32回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第32回」解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第32回」解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第32回」解説動画より

『吾妻鏡』と『愚管抄』で大きく異なる「一幡の最期」

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。

   鎌倉殿の13人第32回『災いの種』では、比企一族滅亡後、予期せぬ頼家の復活で巻き起こる悲劇が描かれました......殺伐とした鎌倉での数少ない癒しであった仁田忠常までもが悲惨な死を遂げ、精神的に非常に辛い回でした。

   中でも印象に残ったシーンは、これまで悲劇の象徴とも言える存在だった善児の変化です。

   殺戮マシーンとして、主からの殺しの命令を忠実に実行してきた善児が、頼家の長男・一幡の殺害を躊躇(ためら)ったのはあまりにも意外でした。というより、そうなって欲しくはなかった。ここで善児に感情移入させるとは、あまりに残酷です......。

   暗黒面に落ちた義時によって、最終的に殺害されてしまった一幡ですが、その最期は『吾妻鏡』と『愚管抄』で記録が大きく異なります。

   『吾妻鏡』では、北条時政に攻められた比企一族が、滅亡の際に館に火を放ったため、一幡も火災に巻き込まれ、焼死してしまったと記録されます。一方、『愚管抄』では母親と共に館を脱出したものの、後に義時によって探し出され、藤馬という郎党に刺殺されたということになっています。

   前回に続き、どちらが真実を伝えるものかはわかりませんが、『吾妻鏡』が義時を庇った可能性は十分にあると考えられます。善児の弟子となったトウの名前の由来は、この一幡を刺殺した藤馬からきているのかもしれませんね。

   頼家のもう一人の息子・善哉は、争いには巻き込まれなかったものの、比企尼から北条を憎むように強く刷り込まれるという恐ろしい演出がありました。この善哉は後に公暁と名乗り、三代将軍・実朝及び、北条義時の命を狙う人物に成長してしまいます。

   そして、ドラマには登場するかわかりませんが、頼家には彼ら以外にも、『栄実』、『禅暁』、『竹御所』と3人の子供たちがいました。

   栄実は、頼家失脚後に出家しましたが、政子の計らいによって長らく鎌倉で暮らしていたようです。しかし、後に反乱分子によって反北条の旗印に担ぎ上げられそうになると、義時によって始末されてしまいます。

   禅暁も出家し、鎌倉を離れて京の仁和寺で修業していましたが、実朝死後の混乱の中で、義時によって殺害されました。

   頼家の血筋は、常に『災いの種』でした。頼朝が最も信頼を寄せ未来を託した義時が、頼朝の作った幕府を守るために、次々とその子孫を消していったことは、あまりにも悲しい皮肉です。

   唯一、女子だった竹御所だけは殺されずにすみました。成長した竹御所は後に4代将軍・藤原頼経に嫁ぎ、御台所となっています。しかし、子供を残すことなくこの世を去ったため、頼家の血筋は完全に途絶えてしまいました。

   鎌倉幕府2代将軍頼家は、自身だけでなく、その子供たちも悲しい運命を辿ることになります。

   さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非動画をご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   【追記:参考文献など】今回の参考文献は、『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(坂井孝一著、PHP新書)、『鎌倉幕府抗争史~御家人間抗争の二十七年~』(細川重男著、光文社新書)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <第32回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。

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