NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の8月7日(2022年)放送回は「第30回 全成の確率」でした。登録者数11万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第30回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?
動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)
頼家の病との関係は?
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
鎌倉殿の13人第30回『全成の確率』では、頼朝の弟の僧侶、阿野全成の誅殺が描かれました。殺伐とした鎌倉を癒してくれていた全成の死と、妻・実衣の涙に、私も涙腺の崩壊を禁ずることができませんでした...。
壮絶な描かれ方をした全成の最期でしたが、実際の記録ではどのように伝わっているのでしょうか。
『吾妻鏡』における全成誅殺までのいきさつは、ドラマとは打って変わって、かなり簡素な記述になっています。
建仁3年(1203)5月19日に全成は謀反の疑いで拘禁。同25日に常陸国へ配流。その間にどのような審議が行われたかは不明で、謀反の疑いがかかった理由も定かではありません。
そして、約1カ月後の6月23日に、頼家の命を受けた八田知家の手によって誅殺された事が記されているのみです。
全成は若い頃に醍醐寺で修業し、『醍醐悪禅師』と称されるほど、クセのある人物だったようですが、その死に様に関しても特に記録はありません。『吾妻鏡』における全成の最期はかなりあっさりしているのです。
しかし、興味深いことに、全成誅殺の前後には、頼家の周辺で様々な怪異が発生したという記録が散見されます。
狩場近くの洞窟で、人を飲み込むほどの大蛇を和田胤長(義盛の甥)が退治した話や、仁田忠常が洞窟探検の末、怪奇現象により家来を失うも自身は命からがら生還した話、鶴岡八幡宮の鳩の変死が相次ぎ人々が怪しんだ話、などが書かれています。そして間もなく頼家は病に倒れるのです。
『吾妻鏡』の中で直接的な指摘はないのであくまで推測になりますが、これらの記述は、全成の死と怪異、そして頼家の病との因果関係を示唆しているようにも思えます。
また、全成が開基となった駿河国の士詠山大泉寺には、全成の斬られた首が空を飛んで帰り、門前の松にかかったという「首懸け松」の伝承が残っています。
全成に本物の神通力があったのかは不明ですが、『悪禅師』と呼ばれた彼の死が、人々の心を不安にさせたのは間違いないでしょう。病に倒れた頼家もまた、全成を殺害したことを後悔したのではないでしょうか。
さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非動画をご覧ください。 それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
【追記:参考文献など】今回の参考文献は、『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(坂井孝一著、PHP新書)、『鎌倉・室町人名事典』(新人物往来社)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<第30回解説動画は、記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年春には登録者数が11万人を突破した。