NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の7月24日(2022年)放送回は「第28回 名刀の主」でした。登録者数11万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第28回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?
動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)
「職務怠慢」への制裁だった可能性も
いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。
鎌倉殿の13人第28回「名刀の主」では、二代目鎌倉殿である頼家の暴君ぶりと、十三人の合議制のメンバーの一人、梶原景時の失脚が描かれました。
頼家は十三人の合議制を自身への当てつけと思いこみ、自身と同世代の近習たちを中心とした政を行おうと画策します。
そんな中、頼家は十三人の合議制のメンバーの一人であり、父・頼朝の側近であった安達盛長の息子、安達景盛の妻を奪おうとする暴挙に出ました。
頼家は、景盛に妻を差し出すよう要求しますが、景盛は拒否。父・盛長も頼家の行いを諫めますが、頼家は逆上し、親子を斬首するよう近習たちに申し付けます。
主人公の北条義時は「人の道に反する」として頼家を叱責、梶原景時や後家・政子の説得もあり、頼家は景盛の妻を諦めました。
この「頼家が景盛の女を奪おうとした」というエピソードは、頼家を暗君たらしめる逸話としてあまりにも有名です。
しかし、『吾妻鏡』を紐解いていくと、この頼家の行いについては弁護の余地があるようにも思えます。
まず、ドラマでは景盛の妻とされた女性ですが、『吾妻鏡』では景盛の妾となっています。つまり愛人です。現代人の感覚では想像が難しいですが、当時は愛人を誰かに譲る、譲られるという文化はよくあることでした。大江広元も、廷臣の妻を奪った院(上・法皇)がいた先例を出して頼家を弁護しています。
そして、この頃、三河国で室重広なる人物の軍勢による駅の占拠が問題になっていました。頼家は三河国守護・安達盛長の息子である景盛に室重広の討伐を命じます。ところが、景盛は頼家からの命令を辞退し、言うことを聞きません。
その理由は、最近できた愛人と離れたくないからというものでした。とんだ職務怠慢です。
再三の要請に景盛はしぶしぶ室重広の討伐に向かいますが、その間に頼家による景盛の愛人強奪事件が起こります。
この行いは、愛人と現(うつつ)を抜かし、御家人の本分を忘れた景盛への制裁とも考えられます。
(もっとも、頼家は景盛愛人に対して度を超えた可愛がりようを見せていたらしく、下心がまったく無かったわけではないと思いますが...。)
ここまで頼家を弁護してきましたが、頼家は始めから景盛の妾を奪うつもりで、景盛に室重広討伐を命じたのではないか?という説もあり、頼家の評価についてはまだまだ定まっていません。好色の暴君か、悲劇の二代目か、頼家がどのように描かれていくのか、今後のドラマの展開にも注目ですね。
梶原景時の失脚については、動画の方で詳しく解説しておりますので、是非ご覧ください。
それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!
【参考文献・注記】今回の参考文献は、『鎌倉幕府抗争史~御家人間抗争の二十七年~』(細川重男著、光文社新書)や『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(坂井孝一、PHP新書)、『吾妻鏡事典』(東京堂出版)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。
<「第28回」解説動画は、記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>
++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年春には登録者数が11万人を突破した。