安子(上白石萌音)との短い新婚生活を経て、雉真稔(松村北斗)は出征した。そしてその後、稔の弟・勇(村上虹郎)も召集される。
それからしばらくして、妊娠していることに気付いた安子。稔のためにも、元気な子を産もうと心に誓う。
1944(昭和19年)9月14日、安子は女の子を出産する。安子は赤ん坊を「るい」と名付けた。頭の中では、稔と一緒に聴いたルイ・アームストロングの曲「On the Sunny Side of the Street」が流れていた。娘には、どこの国の音楽でも自由に聴ける日向の道を歩んでほしいと願っての命名だった。
人生初の生の英会話
1945(昭和20)年3月。東京大空襲に続き、大阪にもB29が来襲するようになる。そして6月29日未明、岡山に焼夷弾が降り注いだ。安子が生まれ育った商店街は焼け野原と化し、安子にとってかけがえのない人たちが何人も犠牲になった。
がれきと化した店の跡で、父・橘金太(甲本雅裕)は泣き崩れる。その横で、安子はただ呆然とするしかなかった。
そして8月15日、ラジオから「玉音放送」が流れる。あまりに多くの犠牲を払い、戦争が終わった。金太は心身ともにボロボロになり、生気を失ったままだ。
終戦から2カ月。死人のようだった金太に変化が起きる。安子とともに「たちばな」を再建しようと、立ち上がったのだ。
金太は安子と2人で、やっと手に入れた小豆と人工甘味料を使って菓子を作る。
甘いものに飢えた客が菓子を口にしたときの笑顔に元気づけられ、金太はだんだんと自分を取り戻していく。安子もまた、生きる喜びを感じるのだった。
まだ帰らぬ稔を案じながら、子育てと「たちばな」での仕事に明け暮れる安子。ある日、一軒の家から「証城寺の狸囃子」の曲に乗って、英語の歌が流れてくるのを耳にする。それはラジオ講座「英語会話」の第1回だった。通称は「カムカム英語」だ。
以来、安子は毎日のように「カムカム英語」に耳を傾けるようになる。
そんなある日、安子はアメリカ人将校が困り果てているのを目にする。安子は思い切って英語で話しかける。
「May I help you?」それは、安子の人生初の生の英会話だった。