10月18日(2021年)、小室圭が秋篠宮家を訪問した。約3時間半近く滞在して、秋篠宮夫妻に帰国の挨拶と眞子さんとの結婚について話し合った後、眞子さんと3年数か月ぶりに再会を果たした。毎日スマホなどで話をしていても、目と目、手と手を合わせて語り合うのとは違うはずだ。何を話し合ったのだろう。
秋篠宮夫妻とのやり取りの詳しい内容は聞こえてこないが、メディアはさまざまに報じている。スポーツニッポン(10月19日付)は、<小室圭から挨拶を受けた秋篠宮夫妻は、その後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での慰霊祭に参列した。宮内庁関係者は「公務から戻られたお二人には笑顔が見られた。今後について良い話し合いができたのかもしれない」と話した>と、話し合いは穏やかだったのではないかと報じている。
だが、週刊新潮はやや懐疑的である。<「昼過ぎから公務が入っていたこともあり、両殿下が小室さんと向き合われたのはせいぜい30分程度。その後は御仮寓所へと戻ってしまわれ、あとはもっぱら眞子さまと小室さんとで記者会見の打ち合わせなどをなさっていました」(秋篠宮家の事情を知る関係者)>
秋篠宮とはどのような会話が交わされたのか。<「秋篠宮さまは、「この日、小室さんに対しては"せめて26日の会見では、しっかりと自分たちの言葉で説明するように"と、説いておられたというのです」(同)>。「門前払いにして会わない」のではないかと思っていた新潮にとって"予想外"の展開だったようだ。
その26日に行われる眞子さんと小室圭の会見は、新潮によれば、場所は皇居と至近のホテルで開かれ、この際の費用は「お二人の"お手元金"」(皇嗣職大夫)で払われるそうだ。宮内記者会と雑誌協会、外国特派員協会があらかじめ作成・提出した計5つの質問について答えるが、アドリブの質問も認められるそうだ。新潮は<小室さんや母の佳代さんにまつわる数々の疑惑については、種々の制約もあって踏み込めそうにない>と、やや諦めの様子。
ならば新潮は秋篠宮批判へと切り替える。眞子さんが両陛下に挨拶をする「朝見の儀」は、眞子さんが私的に参内し、挨拶をする形になったのだが、天皇は「朝見の儀」を執り行い、将来、眞子さんが皇室に携わる機会があった場合、正式なご挨拶を経ていれば、本人も心やすいだろうと考えていたというのである。その天皇の深い考えを、秋篠宮は一存で無にしてしまった。それは天皇と秋篠宮との意思疎通がないからだと、自分の意志ばかりを優先させてしまう秋篠宮のやり方に異を唱えている。
悠仁さんの帝王学嫌いで急浮上した『愛子天皇』!12月1日には晴れて20歳
週刊文春は話し合いの内容には興味がないのか、小室圭が呼んだ美容師は南青山の「T」という美容院の店長で、ここの支店にはかつて、皇后雅子さんやその家族も訪れたことがあるという話から、やはり秋篠宮批判へと向けられている。将来の天皇になる息子の悠仁さんが、姉の眞子さんの結婚問題が膠着状態だったころ、情緒不安定な様子をたびたび見せていたという。母親の紀子さんに「お前」と口にしたり、職員と缶蹴りで遊んでいて負けると、普通ではないほどの大声を出したりしたことがあったそうだ。
もともと"気楽な次男坊"として生まれ育ってきた秋篠宮は、「自分は、天皇になるための教育を受けていない」とたびたび強調してきたが、「ご自身が、次代の天皇である悠仁さまを育てることに自信がないようにお見受けします」(秋篠宮家関係者)
ご自分が帝王教育を受けていないため、悠仁さんの教育に不安があるといういつもの論調である。そしてこれもいつも通り、それに比べて溌剌として、天皇皇后とはもちろん、学習院大学でも、他の女子学生たちと楽しそうに話をしている愛子さんはと褒めたたえ、12月1日に20歳になれば、「国民の間で愛子さまに人気が集まるのは自然の流れでしょう」(宮内庁担当記者)と、愛子天皇の実現を国民も待望していると論を進める。
たしかに、悠仁さんが生まれる直前までは、女性天皇実現のために皇室典範改正の気運が高まり、当時の天皇もそれを望んでいたといわれる。だが、悠仁さんが生まれる前から、女性宮家創設に強く反対の安倍晋三が首相になり、その議論は頓挫してしまったと、眞子&圭問題から愛子天皇へと、文春の関心は移ってしまったようだ。
私は、26日に行われる会見で眞子さんは高らかに「人間宣言」をすると思っている。「これからは一人の人間として、小室眞子として生きていきます」
前途洋々たる第二の人生に涙はいらない。眞子さんの笑顔さえあればいい。
石原伸晃も萩生田光一も危ない!選挙のプロが予測する「総選挙」自民惨敗
週刊誌の衆議院選予測が出そろった。週刊朝日では政治ジャーナリストの野上忠興と角谷浩一が予測している。野上は自民党が37議席減、角谷は33議席減とみている。週刊現代は、政治評論家の有馬晴海、選挙プランナーの松田馨、某全国紙政治部デスク、某大手放送局の政治部デスクに、全主要候補者の当落予想を緊急依頼したという。
<すると、4人の識者の見解を総合した議席数は、現有の276議席から51議席を失う、225議席との結論だったのである。50議席以上を失えば、自民党と公明党での過半数維持もおぼつかない。
しかも落選の危機に瀕する議員には、現職閣僚や副大臣、誰もが知る閣僚経験者が多数含まれる。経産大臣の萩生田光一、副大臣として今回初入閣した西銘恒三郎、さらには石原伸晃元経済再生担当大臣、松島みどり元法務大臣、上川陽子元法務大臣なども、野党の票の動き次第で危険水域に入ってくる>(週刊現代)
10月21日、NNNと読売新聞が公示直後の情勢調査を行った結果、やはり自民党は議席を大きく減らし、単独過半数の233議席を維持できるか微妙な情勢だと報じている。
共通しているのは、不人気な菅政権から岸田政権に衣替えしたが、結局、政権を動かしているのは安倍や麻生、幹事長に座った甘利明たちで、構図はまったく変わっていないことが有権者に見え見えになってしまったため、自民党にプラス材料はほとんどないという見方である。
さらに現代によると、キングメーカーといわれている安倍晋三に反旗を翻すAA連合との戦争が自民党内で勃発したというのである。今回の組閣は甘利明人事といわれる。それに対して安倍は不満だそうだが、その甘利の背後には、派閥ボスの麻生太郎がいる。
<「安倍が岸田政権の人事に不満を強め、それを聞こえよがしに流しているにもかかわらず、麻生は知らぬ顔で『岸田を全面バックアップする』などと言いだした。麻生、甘利は、岸田を傀儡にして『大宏池会』を実現しようとしている。それはすなわち「安倍支配の終焉」を意味するわけで、この展開に安倍は仰天しているんだろう」(自民党幹部)>
週刊文春は、衆院選の公認を巡って、岸田のやり方に安倍が不満を募らせているという。象徴的なのが群馬1区。菅政権下の6月に前橋市内で安倍は、「(細田派の)尾身朝子が公認候補で無くなることは有りえない」と述べたが、岸田が小選挙区で公認したのは二階派の中曽根康隆だった。岸田、甘利、麻生らが会合をもち、中曽根を公認することが決まったというのである。
麻生は自派の会合で、「気をつけよう暗い夜道と3回生」といったそうだ。2012年に初当選してきた連中は安倍チルドレンと呼ばれ、よく不祥事を起こすため「魔の三回生」といわれる。今回の厳しい選挙で大量に落選すれば、安倍の大きな痛手になるが、麻生はそれを皮肉ったのだろう。
「恣意的に点数下げられた」韓国料理チェーンが食べログ提訴!公正取引委員会も「独禁法違反」危惧
次は食べログについて。私も店探しに利用はするが、点数を気にすることはない。もっとも、店側にとって点数の上下は死活問題だろう。それを食べログ側が恣意的に操作していたとしたら......。
都内の韓国料理チェーン「KollaBo」を運営する韓流村の任和彬社長は、新宿店の3・51点が3・16点になるなど、2019年5月21日にいきなり系列店の点数が下げられたという。それは、彼の店が有料店舗会員ではなかったからで、そのために損害を被ったと、食べログの運営会社であるカカクコムを提訴したのだ。
これに追い風となったのが、Googleなど独占的な地位をもつプラットフォーマーが、アルゴリズムを変更して恣意的な操作を行っているのではないかと、世界的に問題視されていることだったと週刊文春はいう。日本でも公正取引委員会が、特定の飲食店が不利益を受ける差別的な取り扱いがあれば、独禁法に違反する可能性があるという報告書を出していた。
そこで、韓流村がシステムの差し止め請求に加えて、食べログの点数表示を止めるよう求めると、事態は動き出したという。独禁法を扱う民事第八部に急遽、裁判体が変更され、裁判官も替わった。そして、今後の裁判で、食べログが優越的地位にあるかどうか、アルゴリズムの設定・運営が恣意的になされたかどうかも、裁判の考慮要素となるとしたというのである。
味の分からない人間ほど、食べログの点数やミシュランの星を頼りに店を選び、うまくもない料理に高いカネを払う。私も昔そうだったが、自腹で食べない輩にこの手が多い。自分の舌を鍛えていないからだ。自慢じゃないが、今の私は、C級グルメと居酒屋については、食べログよりミシュランよりも詳しい。安くてもうまいものはうまいのだ。
言葉ではいい表せない悲しさ......権力者に恐れられ愛されたノンフィクション・ライター松田賢弥 死去
ノンフィクション・ライターの松田賢弥が10月8日に亡くなった。享年67。2度目の脳梗塞で倒れ、懸命なリハビリを続けていた。一時は亡くなったという噂も聞いた。彼の甥の話では、好きなカラオケも歌えるようになっていたというが、肺炎に罹り介護施設で亡くなった。母親っ子だったが、郷里の老いた母親には亡くなったことを伝えていないという。
彼とは長い付き合いだった。月刊現代のときに知り合い、フライデー、週刊現代で小沢一郎追及を一緒にやった。東北出身者らしく地道にファクトを拾い集め、相手の暗部に切り込んでいく取材は、小沢だけでなく、多くの政治家たちを震え上がらせた。
人たらしだった。野中広務は、新聞記者たちが外で待っているのに、松田だけをこっそり招き入れて話をしてくれた。菅義偉が官房長官時代、何度もしつこくインタビューして、『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』(講談社文庫)にまとめた。
よく一緒に呑んだ。大げんかもしたが、しばらくすると電話がかかってくる。「呑もうか」というと、嬉しそうに「オス!」といって飛んできた。酔うと必ずカラオケに行って、吉幾三の『酒よ』、井沢八郎の『あゝ上野駅』を何度も何度も歌った。モテないが女が好きだった。誰彼構わず口説いてフラれていた。酔いつぶれて新宿裏のスナックの階段で寝ていた姿を思い出す。バカだが可愛いヤツだった。悲しいという言葉ではいい表せないほど悲しい。11月末に偲ぶ会をやろうと思っている。(文中一部敬称略)