私は、日本テレビに42年間(1976~2018年)在籍し、その間ずっと学んで来ました。およその経緯につきましては、折に触れ、本コラムで紹介してきましたが、今日は、日本テレビで学んだことをお伝えしようと思います。
最初の21年間は、番組の企画・制作をする「制作」で、アシスタントディレクターから、ディレクター、プロデューサーまでおよそすべてのことを経験しました。
そもそも私は番組を作りたくてテレビ局に入ったので、現場に立つことができ嬉しい日々の連続でした。
部署異動は氏家斉一郎さんからいつも突然に!
それが、1997年、日本テレビの氏家斉一郎社長(当時)の命令で、突然、番組を売るネット営業部に異動になり、部長を務めることになりました。
番組を作っている部署から、180度変わって、大変でした。それでも、仕事をしていくうちに楽しくなりました。それは、番組を作るのも、売るのも、テレビ局にとっては、同じ「戦場」だと思ったからです。
2001年に、東京ドームの食堂で、氏家社長と前川営業局長と一緒に食事をしている時に、氏家社長が「弘(当時、氏家社長は私のことを名前で呼んでいました)、お前は、今度は報道に行け」と言ったのです。報道で、ニュース編集部長(ニュースの制作の責任者)を、やれということです。
突然のことに驚きましたが、報道には「厳しさ」が必要だということは、私も認識していましたし、とにかくやってみようと思いました。
やってみたら、苦労は多かったですが、報道がテレビ局の「基本」であることを深く認識しました。
2004年、氏家会長の時に「弘、そろそろ制作の現場に戻れ」と言われました。
正直言って嬉しかったのですが、山根編成局長に「編成局担当総務の他に、ドラマ部長もやれ」と言われ、最初はとまどったものの、ドラマもやってみると面白かったです。
2005年には、氏家会長から「編成局長になれ」という辞令をいただきました。
今、振り返ってみると、いろいろな苦労はありましたが、それぞれに良さがありました。
私が、今何とか生きていけるのも、日本テレビ時代の思い出と蓄積があるからです。(次回へ続く)