大谷翔平の人気はもはや「ビートルズやマイケル・ジャクソンと同じレベル」⁉ 米国一流ジャーナリストたちが贈る大賛辞は、日本人の涙腺を刺激する――ほか2編

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   エンゼルスの大谷翔平投手(27)がアメリカの『TIME』誌で、「2021年世界で最も影響力のある100人」に選ばれ話題になったが、今度はニューズウィーク日本版が大特集を組んだ。

   タイトルは「アメリカが愛する大谷翔平」。アメリカの一流ジャーナリストたちが、日本人の涙腺を刺激する手放しの大賛辞を贈ってくれている。

「大谷翔平を見ていると、私は10歳の頃に戻れる。ヒーローは実在すると信じていたあの頃に」(グレン・カール)「大谷が21年に成し遂げたことは、第1次大戦期のルースの偉業を超えると断言できるだけの根拠が十分にある」(ゴードン・イーズ)「もし今後再び偉大な二刀流プレーヤーが登場したとしても、大谷が唯一無二の存在であるという事実は変わらない。壁を最初に壊したのは大谷だからだ」(スコット・ミラー)

マナーの良さ、誰にでもフレンドリーな態度で全米中を魅了

   本塁打46本、打点100、盗塁26、勝利数だけが9勝と二桁に届かなかったが、大リーグ史上に残る大記録であることは間違いない。

   イーズ(スポーツジャーナリスト)は、全盛期のベーブ・ルースでも、大谷が8月18日にやったような8回表に打球速度約177㌔のホームランを放ち、その裏に約158㌔の速球を投げることはできなかったはずだと書いている。

   ルースは1919年に投手として10勝を上げた後は、引退するまで5回しかマウンドに上がっていない。二刀流には無理があると本人がこういっていたそうだ。

「1人の人間が一定の間隔で投手をやりながら、同時に他のポジションもこなす――そのペースを毎年維持できるとは思わない」

   グラウンドで超人的な力を発揮する大谷は、マナーのよさ、誰にもフレンドリーな態度で全米中を魅了し、人気ラテンポップ曲の「デスパシート」の日本語バージョンで美声を披露するという。

   チームメイトのジャレド・ウォルシュが、「チームのバスの外にいた女の子4人が、大谷が中にいるのを知って泣き出した」と話している。大谷の人気はビートルズやマイケル・ジャクソンと同じレベルにあるというのだ。

   さらに、再来年に予定されているフリーエージェント権を取得すれば、ヤンキースに来てくれるのではないかと、ニューヨークの野球ファンたちが期待しているという。

   というのも2017年に大谷が大リーグに挑戦すると表明したとき、一番熱心に獲得に動いたのがヤンキースだったからだ。松井秀喜の力も借りて大谷を説得したが、なぜか彼は反対側にある西海岸のエンゼルスを選択した。

   もし大谷がヤンキースに入れば、「ビートルズが(ニューヨークにあった)シェイ・スタジアムにやって来るようなものだ」と、ヤンキースの実況中継をするマイケル・ケイは語っている。

   大谷翔平という存在は人種や国籍を超えたアメリカン・ヒーローになったのである。

   新潮では岩手県時代の友人や恩師たちが大谷について語っている。

   「とにかく負けず嫌い」(小・中・高で同じチームにいた先輩の佐々木大樹)。6年生になると彼の球をキャッチャーが捕れないため、「地元の社会人チームの捕手が試しに受けてみたら、球が捕れなくて身体にドーンと当ててしまい、悶絶したこともありましたね」(同)。高校に入るまでは身長189㌢だが体重は66㌔しかなかった。花巻東高校では寮生活で、食事もトレーニングのうちと、大谷には1日どんぶり飯13杯のノルマが課せられ、そのため高校3年間で20㌔増量したそうだ。

   翔平からShoheiへと飛翔した現在の大谷について、「俺なんか手の届かないところに行ってしまったような気がして、翔平がホームランを打つと、訳もなく涙が出てきたこともありましたよ」(水沢リトルで総監督を務めていた浅利昭治)、「もう"俺が指導した"なんて言えないよ。『翔平』なんて呼び捨てにできないよね」(一関リトルシニアの千葉博美元監督)。有名になり過ぎた教え子の活躍に、嬉しくもあるが一抹の寂しさを覚える。わかるなその気持ち。

斎藤佑樹をスポーツキャスターに、テレ朝「報ステ」が打診か

斎藤佑樹選手(北海道日本ハム・ファイターズ公式サイトから)
斎藤佑樹選手(北海道日本ハム・ファイターズ公式サイトから)

   その一方で、入団当時は大谷以上に騒がれたのに、ほとんど活躍しないまま日ハムを去る斎藤佑樹(33)のようなケースもある。

   斎藤は10月1日に今季限りで現役を引退すると表明した。2010年にドラフト1位で入団したが、11年のプロ通算で15勝25敗。夏の甲子園で田中将大と投げ合って勝ったのが、斎藤の唯一のレガシーになった。

   ハンカチ王子からハンカチおじさんになっても、引退後の人生は前途洋々のようである。

   以前からスポーツキャスターになりたいといっていた斎藤だが、文春によれば、10月に元NHKの大越健介をMCに据えたテレ朝の『報道ステーション』が、「すでに水面下で打診しているようです」というのである。

   大越も元東大野球部のエースで、彼の長男も日大三校の元エースで、1学年下の斎藤と甲子園出場をかけた西東京大会で対戦して、大越が投げ勝ちホームランまで打ったそうだ。

   このつながりなら相当強力だとは思うが、斎藤のスポーツキャスターとしての能力はまったく未知数だ。11年間で15勝しかできなかった選手が、ダルビッシュや大谷の批評ができるのか。そう甘くはないと思うのだが。

   野球といえば、この人も元野球少年だった。進学校として有名な開成高校の野球部で、レギュラーとして2塁を守っていたのが岸田文雄新総理である。

   高橋秀実のノンフィクション『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(新潮文庫)には、いかにも弱いと思われている開成高校野球部には、勝つための独特の理論が存在していて、それが「弱者の兵法」だと書いてあるそうだ。

「弱者の兵法、下手の矜持というべきか。上手くなって勝とうとするのではなく、下手は下手で勝つのだ」

   岸田は自著『岸田ビジョン』の中で、「野球から学んだことが大いに役立っています」と書いているそうだから、総理にまで駆け上がってきたバックボーンにこうした考えがあるのだろう。

   高橋に新潮がインタビューしている。そこで高橋は、開成の野球部員は言葉の使い方に気を遣い、守備でも球が"来た"のか、"来る"のかで、来たという過去形では球も過ぎ去り取り損なうが、来ると思えば構える時間が生まれ、補球する確率が上がると語っている。

「岸田さんも就任直後の記者会見で『私、が、目指すのは』と『が』を強調したり、『多様性を尊重される』を『多様性が尊重される』と言い直していました。助詞へのこだわり。助詞ひとつで認識も大きく変わるというのが開成野球部のセオリーなんです」

   さすがに頭のいい高校生が集まった野球部だから、「来た球を無心で打て」などという単純な長嶋茂雄セオリーとは全く違う。岸田も東大に3度落ちて、不本意な早稲田大学に入ったが、気分は東大卒なのかもしれない。

   だが、政治家に最も大切なのは、助詞よりもしゃべった中身、内容であるはずだ。菅前総理よりもはるかにスマートで滑舌もいいが、内容に新鮮味がない、何をやりたいのか具体的な中身が分からないという不満が早々と出ている。

甘利幹事長の起用でしぼんだ岸田新政権への「御祝儀相場」

   そのため、総理就任後には必ずある「御祝儀相場」がないのは、岸田にとって大誤算だろう。

   支持率の最低が朝日新聞の45%、最高が日経の59%だから、菅内閣発足時より15~20%下回ってしまった。

   安倍晋三元総理の傀儡政権だということが見え見えなところに、"疑惑の専門商社"である甘利明を幹事長にしたことで、すっかり国民の期待感はしぼんでしまった。

   以前、都市再生機構(UR)との補償交渉で、甘利や秘書たちが建設会社側から口利きの見返りに金銭を受け取っていたと報じた文春は、「待ってました」と、この疑惑の再追及を始めた。

   詳しい話は以前書いたのでここでは書かないが、おおよそこんな話である。2013年当時、URが進めていた道路工事で、予定地と隣接する建設会社との間でトラブルが起きていた。その会社の総務担当をしていたのが一色武で、交渉を好転させるために甘利の公設第一秘書だった清島健一を頼った。

   そのおかげでURから補償金約2億2000万円を得ることができ、その際、清島にお礼として500万円、その3か月後に甘利の大臣室を訪ねて、甘利に現金50万円を手渡したという。

   その後、新たなトラブルが両社の間で起こり、UR側に30億円規模の補償を求めることになった。一色側は再び甘利を訪ね、トラブルの説明をしてから50万円を渡したそうだ。

   だが、甘利の秘書たちは次第に事をうやむやにしようとしてきたため、一色は「自らが贈賄側として捜査対象になり得るリスクを冒してまで、録音データやメモなど全ての資料を(文春側に=筆者注)提供したのだ」(文春)。一色が清島に喫茶店で現金20万円を渡す現場も隠し撮りした。

   文春の報道後に甘利は経済再生相を辞任したが、結局、東京地検特捜部は甘利と秘書たちを不起訴処分にしてしまった。その裏には、当時「官邸の守護神」といわれていた黒川弘務法務省官房長の存在があったのではないかともいわれている。

   今回、甘利は幹事長という要職に就いた。就任会見でこの件を聞かれた甘利は、「私はこの事件に関して事情を全く知らされていない」「寝耳に水だった」と述べている。

   だが文春は、清島元秘書のこのような「証言」を掲載している。

――甘利氏は二回、五十万円を受け取った。

「はいはいはい」

――甘利氏が何も知らないということはないのでは?

「ああ、ゼロか百かと言えば、二十くらいみたいな......でも、政治のことは見ないようにしていますので」

   野党側も、この"事件"を再調査するといい出している。岸田は「御祝儀相場」のあるうちに解散・総選挙に持ち込もうとしているが、その目算は音を立てて崩れ始めている。

   政治下手が、人事でヘタをうち、解散の時期を見誤り、国民からそっぽを向かれる。

   岸田総理が目指すのは政界の大谷翔平かもしれないが、斎藤佑樹には失礼だが、彼と同じ道を歩む可能性が高いと見た。(文中敬称略)

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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