私は日本テレビの世界を中心に、45年程芸能界のいろいろな方たちと、お付き合いをさせていただいています。
もちろん、以前このコラムでも書いたように、「出演者と番組を作る我々の間には、企画という川が流れていて、対岸で握手する」と言われた、今は亡き細野邦彦(日本テレビの大先輩プロデューサー)さんの教えに従って、まず「企画」を決めることを最優先にして出演者と協議することから、始めました。企画が出演者と合わなければ、残念ですが、企画を優先して次の出演者に当たりました。細野さんから、出演者と番組を作る我々の間には「企画という川が流れている」、互いに尊重し合ったうえで節度をもって接することが大切だと教えられたのです。
その教えのもとにお付き合いしてきた芸能界の諸先輩方の中から、印象に残る大好きな先輩をご紹介します。
1人目は、(これも以前このコラムでも書きましたが)バーニングプロダクションの周防郁雄社長です。周防さんとの出会いは、37~38年位前、私がバラエティー番組「スーパーJOCKEY」のプロデューサー&ディレクターとして出演者のキャスティングをしていた時でした。
私がキャスティングの確認をするために、バーニングプロに電話をしたのです。キャスティングノートには郷ひろみと小泉今日子(当時はバーニングプロ所属)の二人の名前がありましたが、バーニングプロのマネージャーがいい加減で、二人とも別のスケジュールが入っていると言うのです。そこで、いろいろやり取りをしていると、突然電話は別の人に代わり、「二人とも、スーパーJOCKEYに出演するスケジュールは入っていない」と断言され、私も不用意に「それでは、マネージャーが空手形を打ったのですか」と返したのです。すると、その人は、「空手形とは何だ。私は、バーニングプロの周防だ」と言ったのでびっくりしました。結局、代わりの歌手を同プロダクションからキャスティングして収まりました。
いわば、「喧嘩」から始まったお付き合いですが、その後は、大変いろいろな面でお世話になり、現在に至る訳です。以前、このコラムでも紹介しましたが、私が担当した「マジカル頭脳パワー!!」が始まる時、ある有名なタレントのキャスティングをお願いしに行きました。普通なら「わかった」と言って引き取る所を、周防社長は私の目の前で、次々と電話をしてくれました。結果はNGでしたが、私は十分に納得をして、感謝の気持ちを持ったものです。
マルシアのキャスティングをめぐって井澤社長と電話で喧嘩
「喧嘩」からお付き合いが始まった方がもう一人います。イザワオフィスの井澤健社長です。
井澤さんと出会ったのはバラエティー番組「THE夜もヒッパレ」のプロデューサーをやっていた時ですから、25年位前のことになります。
「THE夜もヒッパレ」の司会陣の1人だったマルシア(当時渡辺プロダクション、現在ワタナベエンターテインメント所属)が、フジテレビの特番で「THE夜もヒッパレ」と似た番組(歌手が自分の持ち歌ではない、今のヒット曲を歌う)の司会をやる、という話を聞いた時のことです。
私は、自分たちの番組を「守る」という意味から、渡辺プロに電話して「フジテレビの特番に出るのは、止めてください」とお願いしました。すると、当時渡辺プロダクションの役員をしていた井澤さんから電話がかかってきました。それが、井澤さんとの出会いになります。「君は、渡辺プロのアーティストのキャスティングを(他局の番組まで)するのか」と言われました。
私は「もちろん渡辺プロのアーティストのキャスティングは、渡辺プロがやるのでしょうが、自分たちの番組を守るためにお願いしているのです」と説明しました。
結果、マルシアはフジテレビの特番に出演しましたが、私は「やむを得ない」ことと受け止めました。その後、あるゴルフコンペの会場で、私が井澤さんに挨拶をすると、ふつうならば相手が誰だか思い出せなくても「どうも」と受け流すところを、井澤さんは「あれっ、誰だろう?」と考えて、ようやく私のことを思い出して「あー、渡辺君か」と言ったのです。それ以降、井澤さんにも大変お世話になり、現在に至ります。
ある種、本音をぶつけ合う「喧嘩」から始まったからこそ、長くお付き合いが続いているのかもしれません。今までお世話になっているお二人に共通して言えるのは、「お人柄がとてもチャーミング」という点です。