「武士になったからといって無理に死ぬことはない」「お前はお前のまま生き抜け」――元治元年(1864年)、禁裏御守衛総督に就任した一橋慶喜(草彅剛)の基盤強化のため、渋沢成一郎(高良健吾)とともに新たな兵力の調達に江戸に向かう渋沢篤太夫(吉沢亮)に、こんなはなむけの言葉を贈った一橋家家老並・平岡円四郎(堤真一)が、水戸藩士・江幡広光らに暗殺された。
江幡らは、木屋町の旅籠・池田屋に集まっていた長州藩や薩摩藩の攘夷派志士を新選組が襲った「池田屋事件」は平岡が裏で画策したものと思い込んだのだ。江戸にいた篤太夫と成一郎は、半月の後に平岡の死を知り、大きな衝撃を受ける。
そのころ京では、前年の八月十八日の政変で京を追放された長州藩が、京都守護職の会津藩主・松平容保(小日向星一)の排除を狙って挙兵。孝明天皇(尾上右近)に「長州を討て」と命じられた慶喜は、自ら最前線に立って御所に迫る長州藩兵と戦っていた。
京の町は火の海に包まれ
長州兵の一部が中立売門を破って御所に侵入するなど慶喜は苦戦を強いられたが、近くの乾門を守っていた薩摩藩軍賦役兼諸藩応接係・西郷吉之助(博多華丸)が藩兵を率いて慶喜に加勢し、長州兵を討ち払った。
この「禁門の変」の戦闘は1日で終わったが、敗走する長州勢が藩邸に火を放つなどしたため京の町は火の海に包まれ、約3万もの寺社や家屋が焼失した。
そんな中、水戸藩元家老・武田耕雲斎(津田寛治)ら攘夷派の天狗党の一群が関東を追われ、元水戸藩主・徳川斉昭(竹中直人)の七男である慶喜を頼り、京を目指していた。だが、禁門の変で京の惨状を目の当たりにして「尊王攘夷は呪いの言葉に成り果てた」と嘆く慶喜は、加賀藩や会津藩などの兵を率いて天狗党討伐に向う。
一方、関東の武蔵、下野、下総など一橋家領内で集めた農民兵を引き連れて京に向かう篤太夫たちの前に、血洗島を治める岡部藩代官・利根吉春(酒向芳)が現れる。篤太夫は16歳のとき、利根が血洗島の農民に莫大な御用金や人足の提供を強要したのをきっかけに、武士になると決意したのだった。その利根が一体何のために?(よる8時放送)
(寒山)