私は、2004年の7月から日本テレビのドラマ部長を1年やり、その後編成局長・制作局長を2009年2月まで担当しました。4年7か月ほどドラマの制作に関わっていたことになります。
私なりに考えた、ドラマが当たる要素を述べてみたいと思います。今から映画の例を2つ出しますが、「ドラマの考え方」としては、テレビドラマと共通していると思うからです。
人間の葛藤を描くドラマに必要な「ボーイ・ミーツ・ガール」
まずは、キャサリン・ヘプバーンが1955年に主演した「旅情」(アメリカの地方都市で秘書をしている独身の38歳の主人公が、長期休暇をとり念願のヨーロッパ旅行に出かける話)を見ていて思ったのですが、ドラマが当たる要素が入っていました。ドラマが当たる要素とは、 "こういう人がいる。こういうことをする。その人間が葛藤をする"ということです。
もちろんドラマの本質は「人間の葛藤」を描くことにある訳ですが、「旅情」のキャサリン・ヘップバーンは独身の秘書が憧れていたヨーロッパ、それも最終目的地の水の都ヴェネツィアに来て、1人の男性に出会う過程での演技が素晴らしいのです。
旅先で見せる彼女の動作一つひとつが、"あー、こういう人がいて、こういうことをするな"と思わせます。その彼女が、憧れのヴェネツィアで、出会った男性と恋に落ちて"葛藤する"ところがなんとも言えないのです。
"こういう人がいる。こういう人がいる。その人間が葛藤をする"ことは、ファンタジーでもいいのです。
2009年のアメリカのSF映画「アバター」では、近未来の世界での「ボーイ・ ミーツ・ガール」を描いています。つまり、「男と女の出会い」です。
「アバター」では、地球からある惑星に"男"がたどり着いて、 "女"に出会います。その男は、危ういところを惑星の部族の若い娘に助けられ、その部族の生き方を学んでいくのです。その過程で恋が生まれるのですが、私が言いたいのは、古い映画「旅情」にしても、近未来を描いた「アバター」にしても、"こういう人がいる。こういうことをする。その人間が葛藤をする"ことと"ボーイ・ミーツ・ガール"を描いている点では一緒なのです。