安政7(1860)年、朝廷の反対を押し切って「日米修好通商条約」を結んだ幕府の大老・井伊直弼(岸谷五朗)が江戸城の桜門外で暗殺され、渋沢栄一(吉沢亮)が暮らす武蔵国・血洗島村にも「天皇を尊び、野蛮人を追い払え」という『尊皇攘夷』の嵐が吹き寄せていた。
そんな中、栄一の従兄で神道無念流の剣豪・尾高長七郎(満島真之介)に続き、幼馴染みの従兄・渋沢喜作(高良健吾)までも江戸に出て行った。残された栄一は父・市郎右衛門(小林薫)に「春の一時だけでいいから江戸に行かせてくれ」と頼み込み、ようやく念願の江戸に出て来る。
和宮降嫁の影響
そのころ幕府では、若年寄から老中に出世した井伊の元側近・安藤信正(岩瀬亮)が、井伊が画策した「公武一和」の方針に従い、孝明天皇(尾上右近)の妹・和宮(深川麻衣)の将軍・家茂(磯村勇斗)への降嫁を朝廷に求めていた。
有栖川宮という許嫁がいる和宮が「どうして妾(わらわ)が武蔵国などという野蛮なところに嫁がねばならぬのであらしゃりますか?」と泣いて嫌がっているにもかかわらず、和宮降嫁計画は強引に進められる。それは、朝廷との結びつきを強めて幕府の権威を回復するどころか、逆に尊王攘夷派の志士の怒りに火をつける結果となった。
一方、江戸に出てきた栄一は、長七郎も塾生となっていた「思誠塾」を主宰する儒学者・大橋訥庵(山崎銀之丞)に出会う。攘夷論者の大橋に感化された栄一は、井伊が引き起こした安政の大獄で処刑された長州「松下村塾」主宰者・吉田松陰が唱えた「草莽崛起(そうもうくっき=国難の時、在野の人よ、立ち上がれ)」の精神に心酔し、「草莽の志士になる」と決意する。