志村けんの「最後の女」が最後の逢瀬で気付いた"コロナ感染"フラフラで蕎麦も食えず――他10編

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   お騒がせバ・カップルの剛力彩芽と前澤友作がまたまた別れたと、フライデーが報じている。いい加減にしろよといいたくもなるが、別れを切り出したのは、今回は剛力のほうからだという。

   前澤が計画している「宇宙計画」やらで、そのためには訓練や準備、宇宙での滞在などで時間を取られ、数年先まで決まっている映画や舞台に穴があくというのだ。そんなことは始めからわかりきったことだし、だいいち、男にうつつを抜かしていた剛力に、そんなにたくさんの仕事があるとは思えない。まあ勝手におやんなさい。

   次もフライデー。タレントのマギーという女性がいる。28歳。彼女が3月上旬(2021年)、東京・恵比寿のベトナム料理屋で、イケメンとメシを食っていたそうだ。"恋愛体質"のマギーのお相手は、彼女自身もA級ライセンスを持つクルマ好きだそうだが、全日本F3選手権にも参戦していたレーシングドライバーの金丸ユウ(26)。ベンツの助手席に彼氏を乗せた彼女は、一目散に自宅マンションへ向かったという。フライデーの結びがいい。<人生のチェッカーフラッグが振られる日も近い!?>

   志村けんがコロナに感染して亡くなってから1年が経つ。志村の芸人としての存在感は薄れるどころか、かえって増しているようにさえ思う。志村は女好きーーでも有名だった。夜な夜な麻布十番などに出没し、美女を伴って飲み食いする姿が目撃された。

   週刊新潮で、彼の"最後の女"という女性が、志村の亡くなる直前の「異変」を語っている。30代の元タレントだという。知り合ったのは5年ほど前で、知人に誘われて志村の誕生日会に出席したのがきっかけだった。以来、月に数回、一緒に食事をする仲になったが、2020年に入ってからは「特別な存在」になっていったという。

   志村から「付き人」になってくれ、そのうち、「将来のことを考えて家に入ってもらいたい」といわれたそうだ。70歳の志村の誕生食事会では、志村が兄たちに「一緒になる女性だ」と紹介したという。

   だが、3月15日に異変が起きた。麻布十番の「豆源」で待ち合わせしたのに来ない。LINEで連絡し、フラフラしながらやってきたが、蕎麦屋に入ってもまともにそばが食べられなかった。志村は、自宅の階段から転げ落ちて1時間ほど気を失っていたと話した。運転手が迎えに来て帰ってもらったが、それが志村を見た最後になった。志村は倦怠感を訴え、20日に入院したが、意識の戻らないまま29日に永眠した。彼女は、亡くなった原因はコロナだけではないのではないかと話している。

空手界のきゃりーぱみゅぱみゅ『植草歩』パワハラ告発は藪の中!恩師は「竹刀は身体に触らないため」

   空手界の"きゃりーぱみゅぱみゅ"といわれる植草歩(28)が、10代から彼女を育てた恩師である香川政夫・全日本空手道連盟の選手強化委員長(65=帝京大の空手道部師範)を、「竹刀で顔面を突かれた。パワハラを受けた」と告発している。植草は、東京五輪で空手女子組手61キロ超級で金メダルが期待されているそうである。

   植草にいわせると、昨年12月20日頃から香川が竹刀を用いた稽古を行うようになった。これは選手に対して竹刀を突きや蹴りに見立てて、選手はこれをかわしながら反撃するという練習だそうだ。だが、「師範が、私の顔面をめがけて竹刀の先端で突き、これが私の左目、そしてまさにプレートが入っていた箇所を直撃したのです」(植草のブログより)

   植草は2015年に左目内壁骨折で手術を受け、左目付近にはプレートが入っているそうだ。彼女は激痛で動けなくなり、その後に検査を受け、「左眼球打撲傷」と診断されたという。私のような空手に素人でも、危険な練習だと思わざるを得ない。当然、多くの同情的な声が植草に寄せられた。

   だが、週刊新潮によると、その一部始終を見ていた帝京大空手部コーチの渡鍋大輔(31)は、植草のいい分を「香川師範が顔面をめがけて竹刀の先端で突くことはなかった」と否定しているのだ。香川が竹刀を使ったのは、女子選手の身体に触らないよう、セクハラを防止するためだったと、全空連関係者が語っている。当の香川も、「わが子同然に可愛がってきた彼女の顔を竹刀で突くような危険なことをするわけがない」と話している。双方のいい分が真っ向から食い違う「藪の中」である。

   このところ植草は、自身のYouTubeなどで、太ももを露わにする格好でストレッチをする様子を配信して、香川といい争いになったことはあるようだが、それが告発につながったとは思えない。植草は刑事告訴はしないようだが、スポーツ界全体に蔓延しているパワハラ体質が、香川師範をして、「この程度」と思わせたのだろうか。注視して見ていきたい。

   柔道界では、バルセロナ五輪で練習中に大けがを負いながら見事に金メダルを獲得し、「平成の三四郎」といわれた古賀稔彦が53歳の若さで、がんで亡くなってしまった。

   表彰式後、古賀は真っ先に観客席に駆け寄り古賀が愛した母親の首に金メダルをかけ、感謝の念を世界中に示した。その母親は79歳で健在だ。週刊文春によれば、母親の愛子さんは「いつも母親を喜ばせてくれる子じゃった」と友人に話していたという。稀代の格闘家で親孝行だった古賀の葬儀には、約1000人の友人知人が別れを惜しんだという。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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