「平成の三四郎」と呼ばれた柔道の古賀稔彦さんががんのため53歳で亡くなった。きょう25日(2021年3月)の「とくダネ!」は、番組の冒頭から30分間近くをかけてこのニュースを取り上げた。
古賀さんはきのう24日午前、川崎市内の自宅で亡くなった。「共同通信によりますと、2020年3月にがんで腎臓を片方摘出する手術を受けたそうです。さらにもう一度夏ごろ、がんの手術を受け、療養していました」と立本信吾アナウンサーが伝えた。故郷の佐賀県に住む母愛子さんには病気のことは伝えていなかったといい、愛子さんはきのう24日、「親に心配させまいと思って。静かに逝ったことはよかったと思うしかないですね」と話した。
司会の小倉智昭「私が最後に会ったのは2年前ぐらい前。新幹線の車両でばったり会って、とてもいい話を聞かせてもらいました。お母様もご存知なかったというのは、男・古賀稔彦というのかなあ」
古賀さんといえば、現地入りした後の練習中に左膝靭帯を損傷しながらも、金メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪。小倉は「素晴らしい柔道家でした。バルセロナ五輪は『とくダネ!』が始まる前だったので私は自分の目では見ていませんが、テレビにかじりついていて、優勝したときは号泣したのを覚えています」と振り返った。
引退後は女子選手を指導
引退後は指導者になり、2004年のアテネ五輪では女子柔道の谷本歩実を金メダルへと導いた。がんで療養していた昨年夏(2020年)、谷本に「僕からのお願い」という手紙を送り、「こういう人間であってほしい」「こういう人間になってほしい」というメッセージを伝えていた、と報じたきょう25日付の「スポーツニッポン」の記事を立本アナが紹介した。
子どもたちへの指導にも熱心で、がんの手術をした後の昨年11月に広島で指導した際には一本背負いを披露し、「優しい人になりなさい。柔道をやる人は優しい人になるために柔道をやる」などと語りかけていた。
深澤真紀(コラムニスト)「当時は男子のトップ選手が女子選手を指導するというのは格下とみられ、あり得ないことでした。でも、古賀さんは女子の選手を指導することが自分の学びになるとおっしゃっていました。これからのスポーツ界に本当に必要な方でした」
小倉「東京オリンピックへの思いも強かったでしょうしね。この若さで...残念だね」