今年の3月11日で「東日本大震災」の発生から10年が経ちました。
10年前の2011年3月11日、私は日本テレビの報道局長として、紀尾井町の「民放連」で報道小委員会に出席していました。突然の大きな揺れに、会議は中止され、交通機関がストップしたため、紀尾井町から新橋の日本テレビまで歩いて帰りました。
外堀通りを歩いていると、皆さんがビルから飛び出していて、山王日枝神社の前の階段に座り込んでいる姿が、印象に残っています。日本テレビに帰ってからは、本当に大変な日々の始まりでした。
10年後の今年の3月11日前後の、様々なTV報道を観て感じたことを、いくつか述べさせていただきます。
定点映像が示した復興の対比は言葉を超えた
3月11日の午後10時からの「NHKスペシャル 定点映像 10年の記録~100か所のカメラが映した"復興"」では、福島県双葉町が丸10年経つのに、未だに「全町避難」という状況が続いている状況と、宮城県女川町では駅・線路の回復が一番早くて、震災後4、5年後には復興が進んでいるという対比が印象的でした。もちろん、東京電力福島第一原発の影響が福島県浪江町の場合は甚大なのですが、双葉町の「帰還、なお見えず」と女川町の「にぎわい待つ町」の対照は、言葉の表現を超えたものでした。
3月8日のNHKの「ニュースウオッチ9」では、「10年前の"さよならのない別れ"」のコーナーで、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が、被害者のご遺族が被害者に対して持っている感情について話された「前に進まないことが、亡くなった人を思いやる心だ」の言葉に共感が持てました。これも、柳田氏の言葉ですが「前に進むと、亡くなった方がいなくなってしまう」のです。
10年経っても、東日本大震災はまだ全然終わってないという、率直な感想を持ちました。