きょう22日(2021年1月)の「プレミアムトーク」ゲストは、クラシックピアニストの清塚信也さんだった。
5歳からピアノを始め、国内外の数々の音楽コンクールで第1位や金賞を獲得。19歳で名門・モスクワ音楽院に留学し20歳で帰国。映画やテレビ製作会社への自作曲の売り込みや全国の楽器店でのコンサートなどの下積みを経て、映画「神童」の松山ケンイチさんの演奏、ドラマ「のだめカンタービレ」の玉木宏さんの演奏吹き替えで一躍有名に。今ではピアニストとしての活動のほか、おしゃべり好きのキャラクターを活かしてバラエティー番組などでも活躍している。
輝かしい実績を持つ清塚さんだが、子供時代には想像を絶する努力を重ねていた。
清塚さん「小学生くらいから1日12時間練習していました。ちょっと異常ですよね。自由時間なんかないんです。学校通ってたんですけどあんまり記憶にないですね。漢字も計算も雑念だからしなくていいって、音譜だけ頭に入れてなさいって母に言われて育ったんで、学校よりはずーっとピアノ弾いてました」
数分間の夕食で見るスポーツニュースが唯一の娯楽...「ライオンズが今日も勝ってる、俺も頑張んなきゃって」
音楽一家かと思いきや、厳しい母は「全くド素人。音感もゼロ以下です。カラオケで前奏の途中で歌い始めちゃうくらい」(清塚さん)。なぜ息子をピアノ漬けにしたのか。
清塚さん「愛はあったみたいで。自分がクラシックをやりたかったので、姉にもバイオリンをやらせて、姉弟でクラシックのアーティストにさせたいっていう、自分の夢を押し付けた形になるんですかね」
友達と遊ぶのも禁止、コンクールの時期と重なるため修学旅行さえ行けなかったと言うが、「唯一野球を見るのだけはちょっと許されたとか」(近江友里恵キャスター)。
清塚さん「21時くらいにご飯を食べるんですよ。ご飯と言っても本当に数分とかなんですけど、21時くらいってちょうどテレビでスポーツニュースやってるじゃないですか。埼玉西武ライオンズが死ぬほど好きで、所沢に住んでたのもあるんですけど、めちゃくちゃ強かった時代なんですよ。毎日のようにライオンズが勝っているという試合結果をニュースで見ることだけがその時の娯楽というか、『今日も勝ってる、俺も頑張んなきゃ』みたいな。球場が近いから、(ピアノの練習の)途中で花火が上がったりして、『あ、勝ったんだ』って」
博多大吉キャスター「やだなとか、もうやめたい!とかあったでしょ?」
清塚さん「ずっと嫌でしたけど、母が怖すぎたのと、小学校の時から手元に音楽以外何もなかったので、小学生ながらに『このまま行ったら私は音楽以外に何もできないな』という危機感みたいなのがすごくあって、とりあえずこれで何とか生業にしないと、人生詰むな、という思いがありました」
「あ、そうだ」と思い立ちモスクワへ「群がってくる大人から逃げたかったのもある」
モスクワ音楽院には、言葉も勉強せず、「あ、そうだ」と思い立って留学したという。
清塚さん「初めて一人暮らししたんです。それまではずっと母の監視のもと、囚人のような生活を強いられていた。コンクールで割といい成績だったので、やっぱりエリートというか、次はこのコンクール、次はこのコンクールみたいなルートが決まってきて、それに大人の方々も群がってくるというか、そういうのから逃げたかったみたいなところもあったんです。純粋に音楽を好きかどうかもわかんなかった状態で、アイデンティティがそこになかった」
寒く、暗いモスクワで一人暮らしをするうち、クラシック以外の表現もやりたいという思いが固まっていったという。
清塚さん「自分のことを省みるというか、いろんなことを考えるようになって、1回は練習なんか全部やめて遊んじゃったんですけど、すぐそれも空しさを感じて、やっぱり音楽がやりたいと思った。クラシックだけじゃなくて自分の音楽がやりたいし、何よりも孤独だった。先行きも不安じゃないですか。音楽家ってどうすれば音楽家になれるかわかんないし、そういう不安を和らげてくれるのがピアノの音色だったので、そういう思いをしている人にも今後自分の音楽が役立ってくれたらこれ以上ないなという思いはこの時に出てきました」