毎年3月28日になると、青山墓地にお墓参りに行くのが、私の決め事になっています。それは、氏家斉一郎氏のお墓です。
氏家斉一郎氏というと、皆さんご存知のことと思いますが、読売新聞の常務取締役から1982年日本テレビ副社長に就任し、社長・会長を歴任した、日本の実業家です。
2011年の3月28日に逝去しました。
氏家さんのことを話すと、きりがないのですが、私の大恩人としての思い出を、いくつか述べてみようと思います。
氏家さんは、日本のテレビ界に「経営」というものを初めて導入したと言っても、過言ではないと思います。その一番端的な例が1991年に開催された「世界陸上」の放送をした時のことです。奇数年に開かれる「世界陸上」は日本テレビが放送していて、その年は東京が舞台だったので大変盛り上がりました。長嶋茂雄さんが解説を務め、男子100mや400mリレーで大活躍したカール・ルイスにインタビューで「ヘイ、カール」と呼びかけたりしたのが評判になりました。その打ち上げで、スタッフが喜びを分かち合っているとき、氏家さんは挨拶で「次回からは世界陸上は中継しない。それは、制作費がかなりの赤字だからだ」と言い切りました。スタッフの気持ちを考えれば色々な見方があるのかもしれませんが、それまで右肩上がりの成長を遂げていたテレビ界に初めて経営というものを導入したのです。
バラエティー一筋だった私に「今度は、経営の修業をさせるぞ」
このとき、私は制作局のプロデューサーで、世界陸上には直接タッチはしていませんでしたが、私自身が直接氏家さんから言われたことで"ショック"を受けたのは、1997年の春のことでした。当時私は制作局のチーフプロデューサーとして、フジテレビを抜いて日本テレビが視聴率三冠王を獲得していて、忙しい日々を送っていました。ある日、氏家さんがふらっと私のデスクに現れて(当時から氏家さんは局内をふらっと歩き回るのが好きでした)、「おい、弘(氏家さんは私のことを名前で呼んでいました)、今度の人事ではお前に、経営の修行をさせるぞ。厳しいぞ」と言って立ち去りました。
私はそれまで、制作のバラエティー一筋で来ていましたから、かなりのショックで、「これは編成ではないな。営業かもしれないな」と思いました。今となってはもちろん営業もテレビ局にとって非常に重要な仕事だし、やりがいがあるのですが、当時の私にとっては極端に言えば"目の前が真っ暗になる"ことで、稚拙な考えから"他人に頭を下げて仕事をするのは嫌だ"と思いました。
しかし、営業部長として異動してみると、営業はテレビの両輪(モノを創る編成・制作とモノを売る営業)の一つでやりがいがあり、楽しかったのです。この続きは、来週のこのコーナーで!