認知症の「先輩」が「後輩」の相談に乗る 「認知症になってもできることがある」と自信

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子供の名前覚えられず学童ボランティア辞める

   高橋さんは市役所を退職後、学童のボランティアを2年間していた。症状が進行し、「子供の名前を覚えられない。子供たちは私の名前を知っているのに」と、当時の日記に書いた。「教えてと来る子供たちに教えられないことがつらくて、つらくて」。辞めざるを得なかった。

   高橋さんは最初の訪問から1カ月後、再び相談室を訪れた。渡邊さんが伝えたのは「認知症になって初めてわかった気づき」だという。「碁でも打つかと出かけていき、最初はどうにもならなかったけど、頭の中でどんどん(手が)出てきた。そこのところは壊れていなかったんやね」との体験談だ。3年たち、渡邊さんは五段に返り咲いた。「自分らしい人生を作っていくことが認知症でもできる」と今は思う。高橋さんは「いい話が聞けた」と応じた。この日は渡邊さんと高橋さん夫妻が談笑する姿も見られた。

   認知症患者の家族がかかえる悩みも、渡邊さんはケアする。自身が妻に支えられた経験を話す。「私が物も言わない、仕事もしない時から女房が弁当を作って運動公園に行って食べたりしてくれました」

   渡邊さん夫妻に励まされ、アルツハイマー型認知症と診断された妻(74)を思い出の海岸に誘いだした夫もいる。妻は「ここに来たのはこないだのような気がする。風はあるけど気持ちいい」と反応した。つらい診断の後も、2人してまた歩みだした。

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