教員の性暴力に「被害」と認識できない子どもたち。後にPTSD発症「言い出せないし、言いたくない」と埋もれてしまう

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「このままでは前に進めない」と30年ぶりに教員に問いただす

   時間の壁に阻まれ、自分で直接教員の責任を問わざるを得なかった女性もいる。みさとさん(仮名40代)は小学生のころ、担任の教員から受けた行為が原因で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。今も大量の薬を飲んでいる。「自分は汚されてしまって、汚い存在なんじゃないか。心が死んでしまった」。

   2年前、同級生に同じような経験をしたことがある人がいることを知った。時間がたっていたため裁判を諦め、元教員に直接謝罪を求める手紙を書いたところ、応じると返事が届いた。「いま区切りをつけなければ、これから前に進めない」。一か月後、30年ぶりに同級生とともに、その教員と対面した。

   当時30代だった教員は60歳を超えていた。「大きくなったね」「おかげさまで。なんとか死なずに生きております。何度も自殺はしようと思いましたけれども、先生にされたことぐらいで死ぬのは悔しいので、がんばって生きてきました」「まずは、先生の口からどんなことをしたのか聞かせていただきたい」「本当に覚えていないんです。記憶にないんです」。元教員は、覚えていないと繰り返した。「修学旅行の夜。女子の部屋に一人で入ってこられて。一人一人の生徒の横に添い寝をして、『舌を出してごらん』。キスして、服を脱がして」「乳首を触って、先生も脱がれましたよ、服。『おっぱい大きいね』ともんでいましたよ。それ覚えていないのでは、納得ができないんですが」「スキンシップというか。いっぱいあったと思う。抱っこするとか」。話し合いは2時間続いた。教員は最後にこう語った。「あまりのことをしてきたんだと思って。ごめんなさい。本当に」。

   「関われば関わるほど、がっかりすることばかりで、さらに傷が深くなってしまう。希望につながるような仕組みづくりをしていってもらいたい」。

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