学術会議問題の裏にいる杉田和博官房副長官とは何者か。第2次安倍政権から「警察国家」が加速したが、その中心にいたのが杉田だ。
菅ジコチュー政権を支える人間たちも、当然ながら同じ類友である。日本学術会議の会員候補の任命拒否問題で、衆院予算委員会で何も説明できずに立ち往生した菅が、苦し紛れに、「6人を外すことを知ったのは、決済する前、杉田和博官房副長官からだ」と漏らしてしまったのだ。
ノンフィクション作家の森功が、サンデー毎日で、それをいっちゃお終いだよと、警察庁の関係者がいっていると書いている。「たしかに安保法制や特定秘密保護法などに反対してきた学者を調べ、問題視したのは杉田さんでしょうが、最終判断は官僚ではできないわけですから」。さらに裏を読めば、最終決断したのは和泉洋人首相補佐官のアドバイスによるものだが、菅はそれを隠したいがために、あえて杉田の名前を出したのではないかともいわれているそうだ。
それはともかく、杉田という人物はどういう経歴なのか。年は79歳にもなる。東大法学部を出て警察庁入りした。警備・公安畑を歩み、在フランス日本国大使館の1等書記官を務めた後、もっぱら外事関係の任務をこなしてきた。1982年、中曽根康弘内閣の時、後藤田正晴官房長官の秘書官となって、官邸と関わることになる。浮き沈みはあったが、1997年に内閣情報調査室(内調)の室長につく。
いったん退官してJR東海などの顧問を務めた後、第2次安倍政権で官房副長官として政権中枢にカムバックする。8年前だから、杉田が71の頃か。
そうして2017年に内閣人事局長となり「名実ともに霞が関の役人の生殺与奪権を握っていったわけです」(ある高級官僚)
私は、70を超えた人間を重用した背景には、杉田の外事、内調出身という「経歴」があったからだと思う。諜報活動に精通しているということは、安倍や菅にとっては「使える男」だったのだろう。日本学術会議の学者たちの思想や行動を掴むのは、杉田にとってはいと容易(たやす)いことであったはずだ。
第2次安倍政権から「警察国家」作りが加速したが、その中心にいたのが杉田ではないのか。
同じ毎日に、生長の家という宗教団体の谷口雅宣総裁が、菅政権批判をしている。ここは公称だが国内41万人、海外131万人の信者を持っているそうだ。私はこれまで、この宗教団体は自民党や日本会議に近い考え方を持つところだと思っていたが、そうではないようだ。
生長の家として2016年の参議院選の際、「与党とその候補者を支持しない」という声明を出した。
「主な理由は、安倍さんが集団的自衛権を巡る法解釈の勝手な塗り替えを行ったからです」(谷口総裁)
そのため、「安倍政治を継承する」と明確にいっている菅も「日本の将来にとって非常に好ましくないこと」(同)だからと、10月25日付の朝日新聞に、日本学術会議の会員候補の任命拒否に反対する意見広告を出したというのである。 菅の問答無用の強権的なやり方への批判の声は、大きく広がっているようだ。