テレビはもっと面白くなる! 番組制作は企画本位で、思い切って有望な若手に任せた「マジカル頭脳パワー!!」が好例だ

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   今回は、少し以前の話をしようと思います。テレビの現状を考えるのには良い機会でありますし、今のテレビにも当てはまることが相当あると思われます。

   「マジカル頭脳パワー!!」という番組を、ご存じでしょうか。

   日本テレビで、1990年10月から1999年9月まで放送されたクイズ番組で、最高視聴率は1996年5月に記録した31.6%で、歴代の日本テレビ・ゴールデンタイムバラエティー番組で、最も高い数字です。

   この番組が始まった頃、日本テレビはあまり良い状況ではありませんでした。視聴率はフジテレビが最強の頃で「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」が全盛の時です。日本テレビの編成はクイズの企画募集をして、小杉善信、私 (渡辺弘)、五味一男、吉川圭三という、あまり実績のない4人の若手を選び、「クイズ・プロジェクト」を誕生させました。

   このプロジェクトからは、1988年10月(水曜、午後8時)に、小杉と五味で「クイズ世界はSHOW byショーバイ!!」を先んじてスタートさせ、成功を収めていました。そこで、第2弾として土曜午後8時も「クイズ・プロジェクト」に任せられ、始まったのが「マジカル頭脳パワー!!」だったのです。

  • 現在の日本テレビタワー
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スタッフ自身が番組を俯瞰し、面白くないコーナーはやめ、ヒット企画を生みだすことが大事

   最初に集まった主なスタッフは、小杉・渡辺・五味に制作会社ハウフルスの菅原正豊です(後に小杉・菅原は抜けます)。最初の半年は、四苦八苦の日々でした。「クイズが難しすぎる」というのが一般評でしたが、我々は何とかそれまでのクイズ番組にはないものを創り出そうとしていました。

   半年後の1991年3月の特番で、回答者の数を増やしてチームを作った時に初めて視聴率が15%台を取り、ようやく上昇の機運をつかんだのです。その後は、特に総合演出の五味一男の頑張りで"マジカルバナナ(連想)""エラーを探せ(間違い探し)""マジカル伝言バトル(伝達ミス)"等々ヒット企画を連発しました。

   今、改めて大事だと思われることは、状況が良くない時は、ある程度有望だと思われる若手に企画本位で任せる、それも、編成・営業とトータルでサポートすることが大事だということが、まず一つです。 次に、クイズ番組も一般的なバラエティー番組もそうですが、絶えず面白くないと思ったコーナーは変えるということです。

   「マジカル頭脳パワー!!」も最初の原型を留めていません。当初の目玉企画だった「マジカルミステリー劇場」も、あまりに他のコーナーが盛り上がって面白かったので、収録の途中でスタッフ同士が「もう止めよう」と、コーナー自体を止めることを決めてしまいました。司会の板東英二さんがその様子を見ていて驚いた、という逸話もあります。

   今のテレビの現状にも、十分に当てはまることだと思います。

   「マジカル頭脳パワー?」に集まったスタッフが、その後の日本テレビを支えていくことになったと言っても、過言ではないでしょう。(1994年4月からは木曜午後8時枠に移動しています。これも、土曜日はスポーツ特番が多いことから、スタッフが自ら申し出たことです)

渡辺弘(わたなべ ひろし)
渡辺 弘(わたなべ ひろし)
1952年生まれ。東京大経済学部卒業。1976年に日本テレビに入社し、制作局CP、ドラマ制作部長として番組づくりの現場で活躍。編成局長、制作局長、取締役報道局長、常務・専務を歴任した。「マジカル頭脳パワー!!」「THE夜もヒッパレ」「「スーパーJOCKEY」「24時間テレビ」などヒット番組をプロデュースした。 現在は「情報経営イノベーション専門職大学」客員教授。映像会社「2501」顧問。
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