高倉健が亡くなる直前やろうと決めていた映画があった。葛飾北斎だ。だが『高倉健、その愛。』になぜかこの話が出てこない。
この人の名は少なくとも後10年、20年先まで話題に上るだろう。高倉健のことである。今月の10日が「七回忌」だった。彼の故郷である福岡県中間市で行われた法要には、親族と生前高倉と縁のあった人間が集まったが、彼が死ぬ直前「養女」にしたという小田貴は呼ばれなかった。
小田という女性がどうやって高倉健に近づき、養女になり、彼の遺産を引き継ぐことになったのかという「謎」を追っているノンフィクション・ライターの森功は、現代で、高倉健が亡くなるわずか3か月前に、やろうと決めていた映画があったと書いている。それは、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎だったそうだ。一度はオファーを断ったが、亡くなる少し前に、自分で車を運転して脚本家の家に来て、出演承諾を伝えたというのである。だが、その日以来連絡が途絶え、11月に突然、訃報が届いた。
義理堅い高倉健が、なぜ、ひと言も連絡をしなかったのか。森は、小田貴が書いた『高倉健、その愛。』(文藝春秋)の中でも、この北斎について全く触れていないことに疑問を呈する。高倉健が最後の仕事と心に決めていたであろう映画について、彼女に語らなかったのはなぜだろう。『その愛。』で描かれている高倉健は、家では饒舌だったという。その彼が映画については沈黙したのは、彼女に全幅の信頼を置いていなかったからではないのか。
フライデーで、高倉と親交のあった映画関係者が小田に、線香をあげる場所を知りたいと聞くと、「海に散骨したから海に手を合わせてくれれば」といわれたそうだ。「どこの海なのか」と聞くと、「世界中の海はつながっています」というばかりだった。ふざけた話だ。
ファンはそれが福岡の海でも、北海道の海でも、現場へ行って手を合わせたいのだ。高倉健という俳優は一個人の所有物ではない。彼への愛が本物なら、ファンも大事にすべきである。彼の死後、生前買っておいた墓を更地にし、クルマもクルーザーも売り払い、高倉健の臭いを全て消し去ることなど、できるものだろうか。私も含めて健さんファンは怒っている。