私には、サン毎の「これはレッドパージの再来だ」という保阪正康の見方が一番腑に落ちた。保坂は第2、第3があると見る
その中では、サンデー毎日の「これはレッドパージの再来だ」という保阪正康の見方が一番腑に落ちた。朝鮮戦争に前後して、ときの最高権力者であったマッカーサーが、共産党員とその同調者を公職から追い払えという指令を出した。様々な職から追われた者は1万人以上にも及び、その中には、共産党員でない者も多く含まれていた。
保阪は、今回を菅の「アカデミックパージ」第1波として、公然と「反政府的人物」をレッドに見立てて、第2、第3があると見る。政府が気に入らない人物を追放する時には一定の法則があるという。ターゲットを決めて、その人物を追放するように扇動する学者、研究者がいる。それに呼応する右翼勢力が加わり、議会の国家主義的議員が口汚く罵り出す。保阪は、「今、この国の政治状況はそういう段階だとの自覚が必要なのである」と結ぶ。
終戦直後、初めてレッドパージをしたのは読売新聞であった。正力松太郎社主らの戦争責任を求める声が高まり、正力らは総退陣する。だが、共産党が従業員組合の勢力を拡大していくとGHQが介入してきたのだ。読売争議といわれ、組合側の大敗北に終わる。私の父親は戦前から読売新聞にいて、正力、務台などと一緒に働いたことを自慢にしていた。その父親の唯一の誇りは、「俺たちがアカを追い出してやった」というものだった。
読売新聞の右傾化の原点はここにあると、私は思っている。今さらだが、読売争議についての文献を読み始めている。読売は早々とレッドパージに動き、それから5年ぐらい経ってGHQ主導で広範囲なパージが行われ、70年後に、安倍や菅によって再びパージが始まる。コロナも相俟って暗い冬になりそうだ。