作曲家筒美京平さん死去。昭和から平成、「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」...ミリオンセラーは限りなく

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   昭和から平成にかけて、数々の大ヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さん(80)が7日、誤えん性肺炎のため亡くなった。「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1968いしだあゆみ)でレコード大賞作曲賞を受賞したのをはじめ、半世紀にわたって数々の歌謡曲を作り続け、シングルの総売り上げは7560万枚と歴代作曲家で1位だった。番組では懐かしい映像とともに数々の業績を紹介した。

   筒美さんは青山学院大を卒業後、レコード会社に就職。その一方で作曲を学び、27歳で発表した曲が初めてオリコンチャートの1位に。それが「ブルー・ライト・ヨコハマ」で、初のミリオンセラーを記録した。

   ともに仕事をした音楽プロデユーサーの酒井政利さんは衝撃を受けた。「歌謡曲の中に洋楽POPSの変化を入れていた。音楽に軽さがあるなかで、揺れ動いているような要素もある」。

   1971年には「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)で日本レコード大賞、73年には「わたしの彼は左きき」(麻丘めぐみ)で同大衆賞、75年に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、同年の「ロマンス」(岩崎宏美)で同新人賞をとった。

「魅せられて」(ジュディ・オング)が「一番のお気に入り」

   酒井さんは、筒美さんが「一番気に入っているんだ」と話していたのがジュディ・オングの「魅せられて」(1979=レコード大賞)だったと、知り合いから聞いたことがある。「魅せられて」は筒美さんの作品では最高の123万枚を売り上げた。

   80年代には、近藤真彦(スニーカーぶる~す)、斉藤由貴(卒業)、田原俊彦(抱きしめてTONIGHT)を繰り出し、まるで「スターアイドル請負人」のようだと言われた。田原はきのう12日に更新したブログの中で、「真っ黄色なポルシェに乗って颯爽と帰って行く京平先生が脳裏に焼き付いています」。

   キャスターの近藤春菜「どの世代の人でも、人生のそばにあった曲だなと思う」

   タレントのトラウデン直美「ほとんどが私の生まれる前の曲ですが、ほぼ全部知っているくらい。すべての世代の心に刺さる。サザエさんのオープニングは知らない人はいないと思います」

   「筒美」死すとも、残した歌・曲は永遠なり。

文・栄

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