一族の反対に遭って上洛に踏み切れない越前の戦国大名・朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)を見限った足利義昭は、将軍奉公衆・三淵藤英(谷原章介)や細川藤孝(眞島秀和)らとともに永禄11年(1568年)夏、織田信長(染谷将太)が待つ美濃の国に移った。信長は明智光秀(長谷川博己)の進言を受け、義昭を室町幕府15代将軍とすべく、単独で上洛する決意を固めていた。
義昭ら一行は美濃で盛大な歓迎を受けるが、信長は戦にまるで興味のない様子の義昭に一抹の不安を覚えるのだった。
今井宗久は堺の自主独立を認めることを要求する
一方、光秀は信長の上洛に先だって、京を支配する三好一族の兵力や朝廷側の意向を探るため、変装して京へと向かった。光秀はこの旅で、国際貿易で栄える商業都市・堺の自治組織「会合衆」の1人である豪商・今井宗久(陣内孝則)と出会う。
武器商人として莫大な財をなし、当代随一の茶人でもあった宗久こそは、この後の信長の隆盛を支えることになる重要人物だ。光秀と会った宗久は、信長に京の町に火をかけないこと、堺の自主独立を認めることなどを要求し、光秀はこれを約束した。信長も家臣たちの反対に遭いながらもこれを受け入れ、永禄11年秋に上洛することになる。(よる8時放送)
寒山