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三浦春馬は広島に住む「原爆の語り部」に会いに行った。末期がんの妻の手を握って「大丈夫、頑張りましょう!」と励ましたという

   さて、三浦春馬ロスがますます広がっている。文春は、生前の彼の泣かせる話を掲載している。2017年3月、広島に住む梶矢文昭(81)のところに、ワニブックスという出版社から電話がかかってきた。三浦春馬という若い俳優がそちらへ行って、いろいろ話を聞きたいというのだ。梶矢は6歳の時に被爆して、一緒にいた姉は瓦礫の下敷きになり落命している。大学を卒業して教師になり、「語り部」として自身の体験を伝承することに力を注いできた。

   教員同士だった妻とは東京オリンピックの年に結婚した。だが彼女は、乳がんを患い入院中だった。2人は揃って映画を見ることが好きで、4年前に一緒に見た映画『永遠のゼロ』に出ていた春馬の演技に魅せられていたそうだ。入院中の妻に、「春馬が来る」と告げると、「死んでもええから、会いたい」という。手の施しようがなくなっていた妻を自宅に連れて行った。春馬がやってきた。

   床の間に座った春馬は、彼女の手を取り、「『永遠のゼロ』は素晴らしかった。これからも頑張るんですよ」という彼女に、「大丈夫です、頑張りましょう。頑張ってください」といって、見つめ合ったという。梶矢は、自身の被爆体験を語り、春馬は、母から聞いた戦争の話をした。命がけで春馬に会いに来た妻は、「ありがとう」といいながら、その3日後に息を引き取った。

   それから一月後、春馬から直筆の手紙が届いた。

   「最期に奥様から呼吸が苦しいながらも『自分を信じてしっかり生きて行って下さい。』という言葉を頂きその言葉が今でもしっかりと自分の胸に刻まれています。励ますどころか、逆にこちらが励まされ俳優として歩んでいく上で背筋を正された思いです」

   春馬は今年の7月8日にも、8月15日に放映されるドラマ『太陽の子』のプロモーションのために広島市を訪れている。その10日後、自ら命を絶ってしまった。

瀬戸大也(2020年8月31日の本人のインスタグラム)
瀬戸大也(2020年8月31日の本人のインスタグラム)

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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