菅義偉の苦労人伝説「集団就職」「苦学生」はフェイクだ。菅のHPで「集団就職」がいつの間にか「家出同然で」と書き換えられた。満蒙開拓団で苦労した父・和三郎は息子に貶められて、たまったものではないだろう

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菅が信用ならないのは、恩師・梶山静六が一番大事にしていた信念「平和主義」をいとも簡単に捨て去ったことだ

   私が菅という男を信用ならないと思うのは、梶山の一番大事にしていた信念を自分のものとせず、いとも簡単に捨て去って省みないからである。文春、新潮も触れていない、菅家の過去がある。戦中、父親の和三郎は一旗揚げようと、1941年に中国・満州へと渡っているのだ。国策として送り込まれた入植者約27万人、いわゆる「満蒙開拓団」の一人であった。

   彼は「満鉄」に勤め、妻になる女性を呼び寄せ、2人の娘を授かる。だが、敗戦の年の8月、不可侵条約を破って攻め込んできたソ連軍によって、和三郎の所属していた開拓団376人のうち273人が亡くなっている。そのほとんどが集団自決だったという。命からがら逃げてきた和三郎一家は、故郷へ舞い戻るが、今でもこのあたりでは、その当時の悲劇を語ることはタブーになっているという。

   義偉が生まれたのは父親たちが引き揚げて2年経ってからである。松田は本の中で、「雄勝郡開拓団の不幸な歴史については、(インタビューしたが=筆者注)菅は詳しく知らなかった」と書いている。知らないわけはないと思う。満蒙開拓団の悲劇は、日本が中国を侵略したために起きたのである。両親と2人の姉が味わった地獄を知れば、安倍と組んで押し通した集団的自衛権行使容認など、憲法を蔑ろにして「戦争のできる国」にすることなどできるはずがないと思う。

   話を文春、新潮に戻そう。文春によれば、菅の奥さんは真理子というそうだ。小此木事務所にいた時に知り合い、結婚したが、安倍昭恵とは正反対で表に出るのが苦手なタイプのようだ。新潮で真理子の知人がこういっている。「彼女は静岡県清水市出身で、実家は食料品の卸問屋を営んでいました」。彼女には離婚歴があり、菅とは再婚だという。

   新潮はこれまでも菅のスキャンダルを何度か報じているが、今号では、菅を取り巻く怪人物たちに焦点を当てている。1人は「スルガコーポレーション」をやっていた岩田一雄だという。岩田は小此木と深い付き合いがあり、そこから菅ともつながりができたようだ。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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