菅義偉の苦労人伝説「集団就職」「苦学生」はフェイクだ。菅のHPで「集団就職」がいつの間にか「家出同然で」と書き換えられた。満蒙開拓団で苦労した父・和三郎は息子に貶められて、たまったものではないだろう

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70年学生運動の真っただ中、仲間の学生たちが戦っている相手が「政治権力」だということが空手学生の菅には分らなかったか?

   大学時代は、アルバイトをして学費を稼いだそうだが、一説には、親からの仕送りがあったという話もある。卒業して一旦、企業に勤めるが、「この世の中は政治が動かしている」と思い立ち、法政のOB会へいって政治家を紹介してもらう。菅が法政大学に入学したのは1969年。70年安保闘争や学生紛争が盛りであり、東大、早稲田と並んで、法政も拠点の一つだった。

   空手に打ち込んでいたそうだが、まともな学生なら、世を震撼させている過激派学生たちが立ち向かっているのは「政治権力」であることが分からないはずはない。よほど鈍かったか、政治家秘書を就職先の一つと考えていたのではないか。  中村梅吉元衆院議長、小此木彦三郎衆院議員の秘書になり、市会議員を2期、その後、衆議院選に出馬して当選する。

   菅が国会議員になって師と仰いだのは梶山静六である。竹下派七奉行の一人で"武闘派"といわれた。長兄を戦争で亡くしているため、「再び戦争を繰り返してはいけない」と平和主義を信念としていた。しかし、梶山を師とする菅は、松田賢弥にこういったそうだ。「梶山さんと俺の違いはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』反対だった。そこが、俺とちがう」

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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