菅義偉の苦労人伝説「集団就職」「苦学生」はフェイクだ。菅のHPで「集団就職」がいつの間にか「家出同然で」と書き換えられた。満蒙開拓団で苦労した父・和三郎は息子に貶められて、たまったものではないだろう

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   菅義偉が自民党総裁、総理大臣に就任することがそれほど目出度いか。プレジデント(10/2号)は「総理大臣『菅義偉』大解剖」という大特集を組んだ。「悩んで悩み抜いた わがリーダー論を明かそう」は、1年ほど前に菅から聞いた話の再録だが、ここは菅の「人生相談」まで連載している親・菅メディアの筆頭格である。

   文藝春秋も同様だ。今月(2020年9月)発売号で、また、菅の「我が政権構想」をやっている。現代では伊集院静が、連載の中で菅を取り上げ、菅の立候補の会見を見てこう思ったと書いている。「会見を聞いていて、もしこの人が宰相ならば、今、目の前にある諸問題への対処、対応に漏れも、穴もないのだろうと思った。おそらく今後、日々起きる諸問題に対しても、あざやかにこなすだろう」。「安倍の政策を継承する」としか言わなかった会見を見て、こう素直に思えるのは、以前から菅とつながりがあるのではないかと勘繰りたくなる。

   ノンフィクション・ライターの森功が2016年に出した『総理の影 菅義偉の正体』(小学館ebooks)に、菅のメディア人脈についてこう書いている。「新聞やテレビの政治記者はもとより、週刊誌や月刊誌の幹部やフリージャーナリストにいたるまで、菅の信奉者は少なくない」。あの冷酷な顔からは想像できないくらい、菅のメディア支配は広がっているようだ。

  • 苦労人伝説をでっち上げた菅義偉官房長官
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父・和三郎には商才があり、町会議員にもなっている。村で高校へ行けたのは裕福な家の子どもだけだった

   だが、なぜか菅の生い立ちや、どういう青年時代を送ったのかについては、圧倒的に情報量が少ない。文春ともあろうものがいまさら、菅の「集団就職」や「夜間大学」はフェイクだなどと、今週号で報じているくらいである。森の本と、それより早くに出版されたノンフィクション・ライター松田賢弥の『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』 (講談社+α文庫)にも、菅が秋田県の貧しい農家の出で、集団就職で東京に来て、法政大学の夜間を出た苦労人政治家というイメージが独り歩きしているが、それは全く違うと書いてある。

   だが、日刊スポーツ(9月3日付)は「法政夜間部を卒業」と報じ、産経新聞(同)も、「出身地の秋田から集団就職で上京し、段ボール工場での勤務などを経て、小此木彦三郎元通産相の秘書や横浜市議を経た苦労人」と書いた。メディア側の勉強不足ではあるが、菅も意識して、貧しい出の人間が努力して立身出世を遂げてきたという「人物像」をでっち上げてきたのだ。

   新潮は、以前の菅のHPでは、「集団就職」としていたが、いつの間にか「家出同然で」と書き換えられていたと報じている。実際、父親の和三郎とは折り合いが悪かったようではあるが、育ててもらった故郷や実家を貶め、貧しい、苦学生というイメージをつくり上げられては、父親としてはたまったものではなかっただろう。

   父・和三郎には商才があったようだ。稲作農業だけでは生活が豊かにならないと、改良を重ねて「ニューワサ」というブランドいちごづくりを始めたという。他の地域でも同じようにいちごを作り出すと、流通量の少ない時期を狙って出荷して、値段を確保したそうだ。その後、和三郎は、町会議員にもなっている。村で高校へ行けるのは裕福な家の子どもだけだったから、菅は恵まれていたことは間違いない。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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