8月31日、としまえんが惜しまれつつ閉園した。大正15年の開業以来、世界で初めての「流れるプール」や「屋内スキー場」を導入。113年前にドイツで作られて米国にわたり、セオドア・ルーズベルト大統領やマリリン・モンローも乗ったといわれるメリーゴーランド「カルーセルエルドラド」を1971年に1億円で購入し、当時の大きな話題にもなった。「史上最低の遊園地」「プール冷えてます」などの斬新なキャッチコピーで世の中を驚かせ続けてきたとしまえんの最後の1日に密着した。
ウォータースライダー愛好家たち約100人が集合
開園当初から大人気だったウォーターシュート周辺には約100人の愛好家の会「スライダーズ」の面々が集まっていた。中心メンバーは40代、60代の男性もいる。彼らは猛スピードでウォーターシュートを滑り降り、その勢いで水上を滑り、10メートル先の陸地に"上陸"する技を楽しんでいる。上級者になると、きりもみ状で滑り降りたり、水上を滑る際に大仏のポーズをとり、"上陸"を達成する。愛好会の代表・松川啓一さん(51)はここに20年間通い続けた。この日も有休をとり仲間と最後のスライダーを楽しんだ。
松川さんはバブル経済が崩壊したころに就職し、営業の仕事を続けてきた。厳しいノルマが課され、長時間、昼夜を問わず働く日々。精神的に追い詰められ仕事を辞めた。居場所を失ったように感じていた松川さんは、近所にあるとしまえんを訪れた時、子供のようにスライダーを楽しむ人々と出会いのめり込んでいった。松川さんは「仕事ばかりしていて、友達とコミュニケーションを取ることもなかった。ここにきてともに楽しむことを知り、性格も変わった」という。スライダーの技術をキープするために毎日トレーニングを続けていたが、この日はなかなか"上陸"が果たせずにいた。そして最後のトライの時間が来た。松川さんは滑る前、仲間に向かって手を上げてスタート。見事、上陸を決め、歓声に囲まれ思わず涙。「泣いちゃった。ヤバい」と言いながら嬉しそうに笑っていた。
帽子デザイナーの野村あずささん(53)は、仕事の傍ら、週に3回もとしまえんに来ていた。自宅はとしまえんの隣のマンション。ゴルフ好きで、としまえんのゴルフ練習場に通っていた父が1970年代に購入したマンションだ。ゴルフ練習場の帰りに、父と遊園地に立ち寄るのが楽しみだった。父がなくなった今も、年間パスポートを使い、家族ととしまえんに通っている。最終日には、エルドラドやフライング・パイレーツなど、としまえんをオマージュした自作の帽子をかぶって来園。「家族といつも一緒にいるのが当たり前。そんな場所です」という野村さんは、亡父の写真を手に、家族と最後の花火を見てとしまえんとお別れした。
バブル崩壊、3・11、コロナ禍...94年間どんな時代にも楽しい思い出もらった
昔のポスターや面白広告を展示するスペースに人だかりがあった。「私はこのエルドラドで結婚式をした」という事業運営部長の内田弘さんは、来園者に「社員の腰を紐で縛り、一番気持ちいい流れは毎秒1メートルの流れだとつきとめたんです」と流れるプールの説明をした。事業企画部の小峯亮一さんは縁日を実施し、としまえんが94年間貫いた世の中を明るくする精神を発揮。夏の風物詩「花火」も最後の2カ月はお盆や週末に実施した。
コロナ禍で修学旅行など、学校行事がほとんど中止になった地元の小学6年生たちが卒業アルバムに載せる写真がないと、思い出を作りに来ていた。
大正15年の開業以来94年、戦争、高度成長、バブル崩壊、東日本大震災、新型コロナ......どんな時代でも楽しい思い出を残してくれたとしまえんだった。
中継は、閉園したとしまえんの名物「エルドラド」から。武田真一キャスターと爆笑問題の太田光がとしまえんについて話した。太田は「東京ディズニーランドができて、遊園地は寂びれてきたが、としまえんのエンターテインメント性は僕らの世代には圧倒的だった。中学の時1日フリーパスを買って、元を取るために乗りまくったことがある。バイキングには13回乗った。としまえんには回転ものが多かったので、家に着いたらゲーゲー吐いたくらいだった」と思い出を話す。
熊本出身の武田キャスターはとしまえんの思いではないというが、「熊本にはサンピアンがあり、私はそこに行きました。どの地方にも心のふるさとがあるんですね」とコメント。
太田は「思い出の場所って記憶の中でどんどん美化してしまう。としまえんも頭の中で美化されて、どんどんいい場所になっていくと思う」と話した。
*NHKクローズアップ現代+(2020年9月1日放送「密着! としまえん 最後の夏」)バルパス