安倍は麻生を呼び「自分の身に何かあったときは麻生さんにお任せしたい」と伝えた。国民には、持病を抱えてもしがみつく安倍か、麻生かの「究極の選択」しかないのか?真っ暗闇じゃござんせんか!

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渡哲也と吉永小百合は愛し合っていた。結婚の障害になったのはカネを生む宝物だった娘を手放せなかった小百合の父親だ

   さて、映画俳優の渡哲也が亡くなった。享年78。

   渡といえば、映画『愛と死の記録』(1966年)で吉永小百合と共演したことが思い浮かぶ。

   それがきっかけで2人は愛し合うようになる。アサ芸で映画関係者がこう話している。

   「渡は小百合のことを『うちのカミさん』と呼ぶようになったんですが、酔っ払うと『小百合はなんで俺のところに飛びこんできてくれないんだ!』と大荒れ。小百合に電話をして結婚を迫ったといいます」

   障害になったのは小百合の父親だった。父親は小百合に、「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対したとアサ芸は書いているが、私は違う見方をしている。

   挫折を繰り返してきた父親にとって、小百合はカネを生む宝物だった。せっかくここまで育ててきたのに、男にとられるのが許せなかったのだ。  松坂慶子と父親との関係もそうだった。カネのない男と結婚しようという娘を、父親は許せなかった。以来、長い間、泥沼の骨肉の争いが続いた。

   小百合が岡田なる年寄りと結婚したのも、父親への復讐であった。

   YouTubeで、石原プロの何周年かのお祝いの動画を見たことがある(まだ載っているのでは)。

   左側のピアノの前に小百合がいて、横に渡が立っている。

   石原裕次郎が、2人に何か声を掛ける。渡が照れくさそうに苦笑いする。小百合はにこやかに下を向く。「おまえたち似合いだったのにな」とでもいったのか。

   渡のヒット曲、『くちなしの花』を、小百合がピアノを弾き、渡が歌う。2人の過去を知っている者にとっては、涙なくしては見られないお宝映像である。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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