『コロナ時代の哲学』(左右社)が面白い。大澤真幸と國分功一郎の対談形式だが、示唆に富む「刺激的」な内容である。
イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンについて多くを割いているが、この哲学者ただ者ではない。
アガンベンは今年(2020年)2月に、「根拠薄弱な緊急事態によって、政府は様々な自由に制限をかけ、甚大な権利侵害が行われている。権利侵害の口実として『伝染病の発明』が行われた」という論考を発表し、大論争を巻き起こした。
國分は、アガンベンの主張は、「死者の権利」と「移動の自由」にあるという。
「今、死者たちが葬式もなされぬままに埋葬されている。人々はそれを受け入れ、驚くべきことに教会ですらそれについて何も言わない。しかし、死者が埋葬の権利をもたない社会、死者の権利を踏みにじる社会において、倫理や政治はどうなってしまうのか。そもそも、生存だけを価値として認める社会とはいったいどんな社会であろうか。―-アガンベンはこう問いました。
また数ある自由の中でアガンベンは移動の自由の重要性を強調した。過去にも深刻な伝染病はあった。にもかかわらず、それを理由にして移動の自由すら奪う緊急事態宣言を行うなど誰も考えなかった。これは戦争中ですら行われなかったことだ、と」
國分は、アガンベンの主張を、「我々が今、進んで民主主義を捨てようとしていることへの警鐘と捉えるべきかと思います」といっている。
二階俊博という古狸が安倍を手玉に取っているというが、ホントかな。永田町も小物の寄り集まりになったものだ
残念ながら、この国の政治家もジャーナリストも、こうした視点は皆無である。政府も都知事も、東京都民は他県への移動はまかりならんといい、都民からも反発する声は起きてこない。
だが、ベルリンの壁を経験したドイツのメルケル首相は、その重要性を認識している。
「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません」
とドイツ国民にスピーチした。
その上で、「しかし、それは今命を救うために不可欠なのです」と訴えた。
メルケルと比べるのは彼女に失礼だが、安倍晋三首相は見識も実行力も劣るが、政権に恋々とする執着心だけはメルケル以上、異常と思えるほど強い。
そんな安倍の下心を見透かして、二階俊博という古狸が、安倍を手玉に取っていると、現代が報じている。
現代は前の号で、二階幹事長のインタビューをしていたが、今回は、文藝春秋の赤坂太郎風の劇画調である。
二階は、ポスト安倍を何とか私にと、すがりつく岸田文雄政調会長を斬り捨て、石破茂元幹事長と菅義偉官房長官を両天秤にかけ、どちらが総理になっても、自分が漁夫の利を得るというしたたかな戦略を立てているというのである。
ほんとかいな? もう81歳。身体も声にも衰えが見える二階が、そんな戦略家だとは、私には思えない。
たしかに、亡くなってしまった自民党の老獪なジジイたちの中には、そういうのがゴマンといたから、その連中の真似をしているということはあるだろう。
真似は真似で、本物ではない。だが、その下の安倍を含めた政治家たちには、何もはっきりいわない(本当はいえないのだが)、何か画策しているように見せる二階が、怖く映るのだろう。
永田町も小物の寄り集まりになってしまった。
小池百合子が「レガシー」にしようとしている「感染予防徹底宣言ステッカー」、自分で店に出向いて確認すべきではないか
やっているフリなら小池百合子都知事も負けてはいない。都知事選の翌日、「東京版のCDC(疾病対策予防センター)の創設を進める」と大見えを切った。
だが文春によれば、担当局長に就任した人間が、オリ・パラ準備局次長と新型コロナウイルス対策を兼務していて、無理がたたって体調を崩してしまったこともあって、幹部たちは「何も決まっていない」と口をそろえているそうだ。
さらに評判が悪いのは、小池が「レガシー」にしようとしている「感染予防徹底宣言ステッカー」である。
ネットで自己申告して、プリントアウトすれば簡単に入手できるので、このステッカーを貼ってある店が本当に感染防止に力を入れているのか、客は判断のしようがない。
実際、ステッカーのある店で感染者が出てしまっている。本気でやるなら、厳格な基準を決めて、それに合格するかどうかを都知事自らが、店に出向いて確認すべきではないか。
もちろんそんなことはできないが、思い付きだけで、都民を走らせるのは止めてもらいたい。
ところで一時「検査難民」とまでいわれたPCR検査が受けやすくなったと文春が報じている。
だが、朝のワイドショーで、真っ赤な洋服を着た芸人が、「PCR検査に行ってきた。4万円もかかったから、若い芸人には負担だろうな」と得々として喋っていた。あれれ、PCR検査って無料じゃないのかと素朴な疑問。
PCR検査を受けるには、医師が診察して、感染の疑いがあると判断すれば、東京都に約40カ所ある「PCR検査センター」や、検査機能を有する病院を紹介してもらえる。
これより少しハードルが高いのが各保健所の「新型コロナ受診相談窓口」経由。公共機関はどうしても、医療崩壊を防ぎたいという意識が働き、検査数を抑えたいと考えてしまうからだそうだ。
どちらも自己負担分はない。先ほどの4万円は「自費PCR検査」を行う民間クリニックの場合だそうだ。安心した。
企業でも、感染者がいないか、出た時はどうするか、戦々兢々だそうだ。もし出た時には、濃厚接触者のリストアップや感染者の勤務場所を消毒することが必要だが、頭の痛いのは、対外的に発表するかどうかということだろう。
金融機関などは、お客と接点の多い店舗の従業員や営業担当者の感染は発表するが、事務や管理部門は発表しないと、文春に答えている。
感染した社員は働けないから無給になるが、社会保険の傷病手当が適応できるし、職務中に罹患した場合は、労災の休業補償と特別支給金を合わせて給与の約8割が支給されるという。
これは派遣社員や非正規にも適応されるのだろうか。
横田滋は娘・めぐみが拉致されたとわかったとき、実名公表を決断した。妻・早紀江は「殺される」と反対したが...正解だった
ところで、娘・めぐみを北朝鮮から救出するために闘い続けた横田滋が亡くなって、早、2か月以上が経つ。享年87。
新潮で、ノンフィクション・ライターの歌代幸子が、残った妻の早紀江(84)に話を聞いている。早紀江は、ほとんど喧嘩はしなかったが、一度だけ意見が食い違ったことがあったと話す。
「23年前、めぐみが北朝鮮に拉致されたことがわかり、マスコミに実名を公表すると決めた時。お父さんは救出の糸口になると信じ、絶対にやるんだと言う。私と息子たちは『北朝鮮に殺されてしまうかも』と反対しましたが、お父さんは頑として譲らなかった。あの決断がなければ、この問題が世界中に知られることはなかったでしょう。お父さんの判断は正解でした」
弱音を吐かないが、その代わりに酒を飲んだという。それが次の日の活力になったのだろう。最後は胃ろうをつけて、言葉も出にくくなったという。
バスで15分ほどの病院へ毎日、早紀江は通った。だが、新型コロナウイルスのまん延で、3月以降は面会謝絶になってしまった。
6月に入り、ようやくわずかな時間、面会を許された矢先、危篤に陥り、天国に旅立った。
早紀江は日本政府への怒りを隠さない。
「私は43年間も闘ってきたけれど、いまだに北朝鮮との交渉は何も進んでいません。何で国はもっと真剣に動いてくれないのかと、怒りや苛立ちが募るばかりです。(中略)
北朝鮮もものすごく困っているし、何かで爆発することがあるかもしれない。それがどうなるのか私はわからないけど、その時にちゃんと日本が動けるように計画して、準備しておいていただかないと困るわけです」
夫の思いを受け継いでいくという意志は、少しも揺らいでいない。安倍首相は、最後の仕事として、北朝鮮に単身で乗り込み、金正恩と差しで話し合う覚悟はないのか。ないだろうな。
私も六本木の店で志村けんの顔を見たことがあるが、芸人特有の明るさ軽さは感じなかった。芸能界の住人とは思えなかった
さて、志村けんというのは、死んでもなお、人柄や芸が評価され続ける、稀有な芸人である。
文春で志村を中心に、ドリフターズの歴史を辿る連載が始まった。冒頭、象徴的な出来事が起きる。
ドリフの人気を決定づけた「8時だョ!全員集合」の第1回目が放送される1週間前に、志村が忽然と姿を消してしまったそうである。
リーダーのいかりや長介の付き人をやって1年半が過ぎた1969年9月のことだったという。
元TBSの西川光三が、西武線の車内のドアのところに佇んでいる志村を見つけ、声を掛けると気まずそうにしていたが、答えはなかったそうだ。
「あの時の寂しそうな表情がいまも印象に残っています」
当時20歳。失踪してから1年、会社員やスナックのバーテンダーなどを転々として、再び付き人に復帰する。
私も六本木の店で顔を見たことがあるが、芸人特有の明るさ軽さは、志村には感じなかった。志村を知らなければ、芸能界の住人だとは思わないだろう。
話は、毎週木曜日の午後3時から行われるネタ会議の凄まじい緊張感、いかりやの完璧主義が描かれる。
なるほどと思わせるのは、いかりや長介が目指していたのはドタバタ喜劇で、彼は日頃から、「俺たちは演技をしているんじゃない。『体戯』をしているんだ」といっていたそうで、厳密に計算された『動き』による笑いにこだわったという。
いかりやから志村にネタ会議の主導権が移ったのは1982年。それから3年後に、「8時だョ!全員集合」は長い歴史を閉じた。
筆者の西崎伸彦に望みたいのは、志村の人間としての人生を辿ることはもちろんだが、志村の笑いを、活字で表現してもらえないかということである。
私も昔、萩本欽一の連載を現代でやったことがある。彼の半生を描くのではなく、彼の笑いを写し取りたかったが、私の未熟さのため、不出来なものになり、途中で連載を打ち切ることになって、欽ちゃんには迷惑をかけた。
志村けんの笑いを活字で読んでみたい。そう思っている。(文中敬称略)