群馬・前橋市のあたご歴史資料館は、地元に人が資金を出し合って設立し、戦争の実態と戦争下の暮らしを伝える衣服や器材など600点を展示してきた。入場無料で、年間500人の小中学生が学習に訪れたこともある。4カ月前に来年3月(2021年)で閉館を決めた。8人いた語り部のうち6人が高齢化から引退し、語り部の原田恒弘さん(82)は「これ以上支え切れない」という。いま各地で戦争資料館や平和祈念碑の閉館、撤去がつづいている。戦後75年、歴史の風化が進む。
「入館者が増えず、予算確保がむずかしい」
愛知県の「名古屋 戦争に関する資料館」は、空襲の熱で溶けた兜や兵士の日記といった戦争遺品1万4000点余を保管しているが、ここ数年、「引き取っ欲しい」という依頼に応じきれず、断ることもある。予算が限られ、専門職員は2人しかおらず、収容スペースも限界に近い。「どこの館も抱える問題で、いま以上に(引き取りの)選択を強化しないといけない」という。
NHKが234施設にアンケートして回答を得た138施設のうち、84%が「維持・管理に問題がある」としている。「入館者が増えず、予算確保がむずかしい」「老朽化」「未整理の資料を活用できない」という声が寄せられ、受け入れを断ったことがある施設が半数だった。
東京都では、東京大空襲の資料500点余が倉庫に眠り続ける。2001年度に開館予定だった「平和祈念館」に収めるはずだったが、旧日本軍の中国都市爆撃に関する内容があったため、都議会の一部に「偏る」「自虐史観だ」と反対の声が上がり、建設が凍結された。
証言に応じた作家の早乙女勝元さん(88)は、「あってはならないことです。都が都民から集めた資料だから有効に伝えられると思っていた」と語る。都はNHKのインタビューに応じず、「議会で議論が止まっているので、都が主体的に動けない」としている。
海外の慰霊碑もお参りできる人いなくなって撤去
こんな中で、いま戦争遺品がネット上で売られている。「旧日本海軍の士官用8000円」といった具合で、靴や服のほとんどが出回る。本物の軍服を着て「歴史を追体験する」若者グループもある。20代の男性は「あくまで服として普通に使い、使いつぶすこともあります」という。
東京都江東区にある「「東京大空襲・戦災資料センター」館長の吉田裕・一橋大名誉教授は、「戦争の性格をどう考えるかのコンセンサスができていない」「国が本来やるべき戦争体験の継承に支障をきたしている」「戦争ゲームをはばかる文化が崩れている。若者たちの姿は、象徴的な出来事かもしれない」と語る。
慰霊の場も消えつつある。フィリピンのレイテ島で従軍した松本實さんは、生き残った戦友と45年前、現地に慰霊碑を建て、毎年お参りを続けてきた。しかし、いま訪れるのはもう松本さんだけ。去年(2019年)12月に訪れ撤去した。この3年間で、海外の少なくとも27の碑が撤去された。国内でも、遺族や戦友の高齢化で維持管理できないケースがふえた。
戦争を考え伝える手掛かりがなくなっていく...前橋市は引き取り
前橋市のあたご歴史資料館にある資料は、市が引き取ることを決めた。いまは関係者が集まり、目録作りを進めている。6月に設置された検討会の手島仁座長は「ともすると政治問題化するが、立場を理解し合い、議論の共有化を図り、市民に公開したい」という。
吉田さんはこれをモデルケースとして「単なる知識として学ぶだけでなく、そこに生きた人たちに対する共感、気持ちを培うことが重要。米軍や中国軍、アジアの人たちへの想像力も広げて、自分の問題として受け止めて」と強調する。
武田真一キャスターは「私の祖父も戦争で命を落としましたが、ただ詳しいことは知らずにきました。記憶をどうつなげていくか、自分の問題として考えていきたいです」と結んだ。
※NHKクローズアップ現代+(2020年7月 30日放送「戦後75年 行き場失う戦争遺品」)