日本テレビの小杉善信社長が27日(2020年7月)記者会見を行い、8月22~23日に放送される「24時間テレビ43」について、「どんな形であろうとやる。一度休止すると、24時間テレビの援助、電動車いすやリフト付きバスなどが届かなくなる」と社会的意義を強調し、改めて番組決行に強い意欲を示した。
日刊スポーツ(7月28日付)などによると、小杉善信社長はこう語ったのだった。
「海外のチャリティー番組は出演者がノーギャラだ」
「毎年、待っていらっしゃる届け先に届けるという使命を果たさなければならなりません。24時間テレビの精神をこの番組で伝え、視聴者の皆様に寄付を頂き、それをしっかりと1円残らず届けるということをまず実現するのが放送局としての使命であり、24時間テレビのもつ意味であると思っております」
そして、局として新型コロナの安全対策を個別の番組ごとにマニュアルを作って進めていくという。会場は両国国技館だが、無観客で実施する。タレントらと対面での募金や24時間マラソンも毎年の風物詩だったが断念した。
ネット上ではこんな批判の声が上がっている。
「どんな形でもやるというなら、本当の意味でのチャリティー番組にしたらいい。海外のチャリティー番組では、マドンナやセリーヌディオンなどのそうそうたる大物たちがノーギャラで出演している。だから出演者は全員ノーギャラ。お涙頂戴のドキュメンタリーもやらない。もちろんマラソンは不要。スポンサーのCMもなし。スポンサー企業はその番組に億単位の寄付をすればいい。番組内でその企業名と金額を堂々と紹介すればいい。そこまでやって、初めて社会的意義のあるチャリティー番組と思う。志村けんさんのドラマをやるらしいが、これも嫌だな。せめて一周忌が済んでからにしてほしい」
「『一度休止すると、24時間テレビの援助、電動車いすやリフト付きバスなどが届かなくなる』...。代替手段はいくらでもあるはずです。実際、大震災や台風、豪雨災害の時も各局のさまざまな番組が、寄付、援助を呼びかけている。24時間テレビとしてチャリティーをやる意味合いはかなり薄れました。 24時間テレビはやること自体が目的だったということがよくわかりました」
もう「感動系」「お涙頂戴系」はやめてほしい
「また今回も障害者参加型の形になった場合、コロナの感染拡大で、呼吸機能の弱い障害のある方に感染すると、死に直結する危険もあることを考えてのことなのでしょうが。また、24時間やっていて満足な休憩もとれずに走り回るスタッフも出てくるでしょう。免疫がガタ落ちして感染でもしたら元も子もありません。そんな危険を冒してまでやる意義はどこにあるのでしょうか」
もう「感動系」「お涙頂戴系」はやめてほしいという声が多かった。
「前向き系、感動系、勇気づける系ソングをこれみよがしに歌うくだりには飽きました。内輪ノリというか、テレビの中だけが盛り上がって、見ている自分が置いてきぼりになる感覚がある。泣きましょう!感動しましょう!なんか疲れるんだよな」
「かつて番組内で素潜り記録に挑戦した人が、復路で意識を失いダイバーに海面まで運ばれてビンタで起こされていた映像は一生忘れません」
「出演者もそうですが、街頭に立って募金を呼びかけているボランティアの人たちもかわいそうですよ。私の地元では毎年、看護専門学校の生徒たちが参加させられていますが、猛暑の中、商店街で汗だくになりながら募金の呼びかけをしている姿を見て『そこまで必要なことなのか?』」といつも思っています。わざわざ番組にしなくても支援の手立ては沢山あるのですから」
欽ちゃんが鉄道で全国を巡り、募金した頃が懐かしい
番組の初期の頃はよかったが、今はその精神が失われているという指摘も。
「昔の24時間テレビは、欽ちゃんが鉄道を利用して日本全国を巡り、募金した人に握手する企画をやっていましたね。チャリティー色が強く、一般視聴者のチャリティーへの意識付けという意味でも良い企画でした。しかし、歌を前面に出した頃から雲行きが怪しくなり、完全にエンターテイメント色が強くなりすぎています。マラソンなんかチャリティーとは全く無関係なのに、最後のラストスパートで盛り上げようとしています。番組の本当の使命は終わっていると感じます」
「第1回から父親に連れられて真夜中に募金に行きました。欣ちゃんや石野真子さんに握手してもらって、目を見て『ありがとう』と言われた時は、子どもながらに嬉しくて、次の日からコーラの瓶にお金ためるようになりました。父親がミーハーだったのだと思います(笑)。地球の絵がついた黄色いTシャツを買ってもらい、学校に着て行くのは誇らしかった。(ダサい女の子だと言われていたと後から知ったけど)。あの頃とは違う番組になってしまって残念です」(テレビウォッチ編集部)