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「石原プロ」57年の歴史に幕...砧撮影所でインタビューした裕次郎は「普通の兄貴」だった

   週刊新潮はトップで、石原裕次郎が自ら社長を務めた「石原プロモーション」がようやく幕を閉じると報じている。裕次郎が亡くなったのは1987年7月17日、52歳の若さだった。その後、まき子未亡人(86)と、渡哲也、舘ひろしたちが石原プロを守ってきたが、来年1月に57年の歴史の幕を下ろすそうだ。

   生前、裕次郎は「オレが死んだら石原プロを閉じろ」といっていたが、まき子未亡人の生活のこともあり、存続させてきた。だが、昨年(2019年)、横浜の總持寺で33回忌の法要が営まれた際に、まき子から「今年をもって弔い上げとします」と話があったという。今後は、いくつかの関連会社もたたみ、裕次郎の版権収入やカラオケの歌唱印税の管理をする「石原音楽出版」に一本化するそうだ。

   まき子は、裕次郎が亡くなった時、多額の相続税を負担するため、成城の家を抵当に入れて8億円近くを借りて苦労した経験がある。そのため、今後のことを考えて、彼女の弟の息子(甥っ子、50代半ば)と養子縁組したという。

   私は1度だけ、たしか砧撮影所だったと思うが、裕次郎にインタビューしたことがある。婦人倶楽部という編集部にいた時だが、いきなり「少年マガジンだっけ?」といわれた。だだっ広い殺風景な荷物置き場のようなところに座って話を聞いた。映画で見るより普通の兄貴という感じで、ぶっきらぼうだったが、質問には丁寧に答えてくれた。

   墓碑にはまき子の直筆でこう綴られているそうだ。「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く」

   裕次郎の歌では、最後になった「わが人生に悔いなし」が好きだ。そう、生きてる限りは青春だよな、裕ちゃん!

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、 『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)、『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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