北朝鮮で金正恩労働党委員長の妹、金与正氏の存在感が強まっている。「クズたちを絶対に許さない」「南の者たちと決別する」とまくしたて、南北共同連絡事務所の爆破を予告した。北朝鮮の狙いはどこにあるのか。
北朝鮮は今も「新型コロナウイルスの感染者は1人もいない」ことになっている。1月(2020年)に中朝国境を封鎖し、対外貿易の95%を占める中国との物流が止まった。「この影響がエリート層までも直撃した」と、韓国国家安保戦略研究所の南成旭元所長は指摘する。党や軍の幹部も資金繰りに苦慮し、政権への求心力がゆらいでいる。そのテコ入れに与正を使ったのだろうと観測する。
与正自身も、2018年の南北首脳会談で韓国とかわした観光や経済特区の提案が実現せず、制裁を続けるアメリカへの説得にも韓国が機能していないことに、不満が極限に達したという見方もある。そこで、「韓国の文在寅大統領に強い言葉を投げかける役を与正氏が担った」と、ソウル在住の政治経済学者、ロー・ダニエル氏は語る。
ダニエル氏は「儒教の教えから年長者を尊ぶ韓国・北朝鮮で、32歳の女性が67歳の男性に、しかも大統領に見下した乱暴な言葉を使った。そこに北朝鮮の強い意志がある」「文大統領のあと2年残る任期に何も期待しないとのメッセージです」と分析する。
キム委員長は今年(2020年)の新年談話で、「全面突破」という言葉を使い、核開発を進めると宣言した。8月には米韓合同軍事演習、10月には朝鮮労働党創立75年の記念行事が予定されている。その前に主導権を握るために何らかの行動を起こす必要があったというのだ。
与正は現在、政治局員候補で序列19位だが、労働新聞で最高指導者にしか使わない「指示」「指導」の文字も見られる。公安調査庁で北朝鮮を30年間分析してきた坂井隆氏は、「国内外に与正氏の存在をアピールした。手打ちにはトップが出るが、それまでのやり取りをやらせる役割分担だ」と観察、韓国国防省は「実質的ナンバー2」と位置づけている。
タバコ1日80本の金正恩の健康問題
こうした背景には、「金委員長の健康問題がある」とロー・ダニエル氏は見る。タバコを1日80本吸うといわれ、足を引きずる映像から血管系の病気があると指摘する韓国医師もいる。金委員長には子供3人がいるというが、息子は10歳前後らしい。万一に備え、空白をうめられるのは与正しかいないともとれる。
金委員長は一転、「韓国に対する軍事計画を保留する」と語ったと、24日(2020年6月)の労働新聞が伝えた。NHKの高野洋ソウル支局長は「韓国に揺さぶりをかける狙いで、緊張レベルを調節するとの見方が韓国内では強い」と報告する。
礒﨑敦仁・慶応大学准教授は「北朝鮮はたまりにたまったいら立ちを、まずはぶつけやすい文政権にぶつけたのでしょう。その中で、与正氏は不満をぶつける役で、キム委員長は温存したわけです。現時点では与正氏を過度に評価すべきではない」と慎重だ。
CIAの元分析官のブルース・クリングナー氏は、11月の米大統領選をにらんで「北朝鮮がトランプ大統領から譲歩を引き出そうとする可能性があります。10月10日の朝鮮労働党創立75周年記念日にサプライズをやり、影響を及ぼそうとするかもしれません」と予想している。
※NHKクローズアップ現代+(2020年6月25日放送「北朝鮮 キム・ヨジョン氏台頭~内部で何が起きているのか~)