元東京都知事で87歳の石原慎太郎が、同い年の作家の曽野綾子と老いや死について語り合った本「死という最後の未来」に発売された。石原氏は「物書きのように想像力に頼って生計を立てている人間ならば、いっそうわれわれにとって最期の未知、最期の未来である死について考えぬわけにはいきません」と書いている。
2人の死生観はまったく逆だ。曽野さんは「私は抗わないんです。わからないものはわからないまま死ぬのが人間的でいいと思っているから」と言い、石原氏は「死んでも死にきれないんです。死の実体というものはわからないでしょう。僕は無性に知りたいんだな」と言う。そして「死ぬことは虚無なんですよね。何もない。私は死ぬまで生きますよ」とも話している。
東京大空襲の赤い炎を見て死というものを意識
石原氏は「モーニングショー」のインタビューを受けていた。これまでの人生で死を意識するきっかけになったのは東京大空襲で、街が赤く燃える光景を目にしたことだった。高校生の時には、父親が仕事中に脳溢血で急死。病院に駆け付けた時にすでに父の息はなかった。
大学在学中に芥川賞を受賞して時の人となり、30代の時にベトナム戦争を取材、帰国後に突然の高熱で倒れた。肝炎に感染していたのだ。1カ月入院した時に、死を自分のこととして感じたという。入院中に三島由紀夫からもらった手紙には「私も肝炎だ」とあり、「大切な人生の機会。考えたらいい」と書かれていた。
これを機に政界に出て、参院議員、都知事を歴任した。弟である俳優・石原裕次郎が解離性大動脈瘤で大手術をした際に、三途の川を渡りかけた話を聞いたという。石原は「天国か地獄か、そんなものはない。来世もない。死んだら終わり」と言う。