小沢一郎を追い詰め、週刊文春でスクープ連発の松田賢弥レクイエム...あんたの仕事はみんな覚えている
私事で恐縮だが、私と一緒に仕事をしていたフリーライターの松田賢弥の死について書いておきたい。松田は、私と、週刊現代時代、小沢一郎追及を毎号のようにやっていた。
郷里が小沢と同じだった。私が週刊現代を離れてからフリーになり、週刊文春でも何度かスクープを飛ばしていたが、今から3年ほど前になるか、2度目の脳梗塞で手術をし、かなり強い後遺症が残り、ライター生活は無理だと思われた。
そのことを最近、私が出した「野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想」(現代書館)に書いた。それを有田芳生参院議員が読んでくれた。彼も松田と面識があり、松田の近況を知っているかもしれない月刊TIMESの香村啓文編集長に聞いたそうだ。
香村編集長は、松田が東北から出てきたころからの付き合い。そして、香村から、昨年亡くなっていたと聞いたと教えてくれた。香村編集長は7月号の「編集後記」に松田のことを書いている。それによると、一昨年の春、埼玉県の高齢者住宅に入っていることを知り、雑誌を送ったが返事がなかったという。
管理人に電話すると、大宮の自治医大に治療にいっているとのこと。その後も音信不通なので、今回改めてその施設に電話すると、管理人から「昨年亡くなった」と告げられたそうだ。やはり亡くなっていたか。もう一度会いたかった。
脳梗塞で倒れる直前に妻と離婚し、可愛がっていた息子とも会えなくなっていた。年老いた故郷の母親には、彼を引き取って面倒見る余力は残っていなかった。
「無敗の男 中村喜四郎全告白」(文藝春秋)を書いたノンフィクション・ライターの常井健一は私に、「僕が行くところ、みんな松田さんの跡が残っていた」といった。地べたを這うような取材が持ち味だった。
野垂れ死にとはいうまい。週刊誌を舞台に大きな仕事をいくつも成し、本を何冊も出した。あんたの仕事は、私を含めて多くの人間が覚えている。東京ドームで会った、野球が好きな息子も、あんたのことを忘れはしない。ゆっくり休んでくれ。(文中敬称略)