中山秀征君とのことを、話そうと思います。中山君と飯島直子さんとは、今でも年に何回か食事会を一緒にさせていただいている仲です。中山君のことを「秀ちゃん」と呼ばせてもらっているので、ここでも「秀ちゃん」と呼びます。
秀ちゃんと本格的に仕事をしたのは、音楽バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」が始まる頃ですから、1995年でした。秀ちゃんは「THE夜もヒッパレ」の司会陣の一人なのですが、感心したのは、やはりレギュラーの安室奈美恵と二人のコーナーで、そのコーナー(ランキングの"いじり"だったと思います)を作るというか、安室を"教育"して面白いコーナーに作り上げるプロデューサー的役割を果たしていたことです。もちろん安室のキャラクターも良かったのですが。
「24時間テレビ」ではハンディキャップを負った出演者と最後まで50キロ遠泳や富士登山
次に驚いたのは、「24時間テレビ」で身体にハンディキャップを負った人が遠泳にチャレンジするアシスト("伴泳")をするという申し入れをしたときのことです。スタジオで、私が軽く「秀ちゃん、泳げるの?」と聞いたら、「えー、まあまあ泳げます」と答えてくれたので、私は彼にお願いしようと決めました。
それで、正式なオファーをするためにスタッフを連れて、秀ちゃんを控え室に訪ねました。スタッフの一人が、(多分50キロくらいの遠泳でした)「中山さんは、泳いだり船に上がったりしてくれてもいいです」と言ったら、「それはないでしょう。私は最後まで泳ぎます」と言い切ってくれたのです。嬉しかったです。本番当日も、最後まで引いて"伴泳"してくれました。
「24時間テレビ」では、身体にハンディキャップを負った人が富士登山をするアシストも引き受けてもらいました。富士山の頂上近くまで行って、もう一息で登山に成功するときのモニター越しの秀ちゃんの苦しそうな顔が、忘れられません。最終的に、富士登山も成功しました。
しばらくたって、秀ちゃんが「24時間テレビ」に出なくなってからも、放送直前にやっていたバラエティー番組「TVおじゃマンボウ」で、「24時間テレビ」をよく知っている秀ちゃんならではのフォローをしてくれました。秀ちゃん、ありがとうございます。