日本でも間もなく起こる「新型ウイルス姥捨て山」重症の高齢者は治療せず放置

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   世界中に新型コロナウイルスが蔓延する中で「選別」という言葉がひとり歩きしている。イタリアのコロナウイルス"爆心地"ロンバルディア州のベルガモの病院の医師は、<「わが国では、70歳以上で新型肺炎が重症化した場合、2人にひとりが亡くなっている状況です。彼らに人工呼吸器を着けさせなかったらどうなるか。(中略)ただ、どうすることもできない。人工呼吸器の数が足りない以上、若く、助かる見込みの高い患者を優先して治療しなければなりません」>(週刊現代)といっている。

   ミラノ在住のヴィズマーラも、<「地元の新聞では、一部の病院で、『70歳以上の患者さんに対しては、大量のモルヒネを投与して安らかに逝っていただく』措置を取っているという内容が報じられています」>(同)と話している。

   ニューヨークでも同じことが起きていると、朝日新聞(3月30日付)が報じている。<「これまで高齢の患者が肺炎で呼吸困難に陥ったら、『挿管してほしくない』と意思表示があるケース以外はしていました。何歳であろうが、患者の意思を尊重し、生きるチャンスに懸けてみる。当たり前のことです。

   ただ、いまはそんなことはとてもできません。患者や家族がいくら挿管してほしいと言っても、『生き残る可能性が高いひと』を選ばざるをえない。患者に決定権を与えられない。平常時なら助けられるかもしれない患者を助けられないんです。これは、医師としてやりきれない。でも、そんな『命の選別』のようなことを、せざるをえない状態です」>

   日本でも同様のことが起きる可能性は1億%ある。世界中で現代版「姥捨て山」が行われているのである。これからは、病院の入り口に「犬と高齢者は入るべからず」という張り紙が貼られ、疾患のない高齢者でも、検査を受けられないという事態が出来するかもしれない。だが、高齢者から、「命は平等」「治療される権利を我らに」という叫びは聞こえてこない。だから齢74の私がいうしかない。

   作家の楡周平が、週刊新潮でこの問題について書いている。新型インフルの発生に備え、国は「プレパンデミックワクチン」を備蓄しているが、その量は1000万人分しかない。そこで「新型インフル対策措置法」で、「住民接種」を行う順位を「妊婦を含む医学的ハイリスク者」「小児」「成人・若年者」、その次に「高齢者」として、この国の将来を守ることに重点を置き、高齢者を最後にすると提示しているという。今回のコロナウイルスの場合も同じことだが、高齢者はそのことをどれだけの人が知り、受け入れる覚悟ができているのかと問いかけている。

   正直にいおう。私にその覚悟はない。それをいうなら、感染爆発を前にして、今頃、各家庭にマスクを配ろうなどといい出した、安倍を含めたアホな閣僚、役人たちが率先して覚悟を見せるべきである。WHOもマスクで感染は防げないといっているのに、何百億円も浪費して無駄なものを送りつける輩たちに、国民の命を守るという気概などあるはずはない。きょう3日(2020年4月)になって、世帯当たり現金20万円を給付することを検討すると発表したが、後の祭りである。

   あまりの愚策に、安倍ベッタリの作家、百田尚樹もたまりかねて、「一つの家庭に2枚の布マスク?なんやねん、それ。大臣が勢揃いして決めたのがそれかい!アホの集まりか。」とツイッターで叫んだ。百田は先日も、安倍の新型コロナウイルスの対応について、「安倍総理はこれまでいいこともたくさんやってきた。しかし、新型肺炎の対応で、それらの功績はすべて吹き飛んだ」とツイッターに書き込んだそうだ。ようやく安倍ポチにも、事の良し悪しが判断できるようになったらしい。

「反骨ジャーナリストVSウルトラ右派」斉藤貴男の切込み不足で花田紀凱の優勢勝ち

   百田で思い出した。サンデー毎日で、反骨のジャーナリスト・斎藤貴男がウルトラ右派雑誌の雄、月刊「Hanada」の花田紀凱編集長に切り込んでいる。斎藤は花田が週刊文春編集長時代に記者をやっていたことがあるそうだ。2回にわたって計5時間ぐらい"対話"したそうだが、内容的には齋藤の切り込み不足で、花田の優勢勝ちである。

   一番いけないのは、齋藤が、「Hanada」の誰の書いたこの記事のここが間違っているという、インタビューのイロハである聞き方をしていないことだ。たとえば、青木理について批判した記事に対して、<「彼は、一方的な批判も甘んじて受けないといけない政治家や財界人とは違う。在野の人です。それを、ああまでこき下ろすからには、相手の言い分を聞くべきですよ」>といっているが、「ああまでこき下ろす」ではなく、具体的にその箇所を示し、ここが間違っているというべきである。

   「性暴力」を受けた伊藤詩織のことを批判する小川榮太郎の記事に対しても、<「花田さんは、2人の間に起きたことについて嘘を言っているなどと批判する記事を、民事裁判の1審判決に先立ち繰り返し載せた」>というだけ。花田が、<「記事が明かしたように、彼女の言い分には随所に矛盾や嘘がある」>と返されて、それで終わりになってしまう。

   結局、花田編集長が後記で書いているように、「貴男ちゃんとの対談は楽しい時間だった」などとあしらわれてしまうのだ。

   私事だが、だいぶ前に、某ネットメディアで、花田直撃をやろうと思い、花田編集長にも快諾してもらっていた。そのために月刊『Hanada』を5、6冊買いこみ読み始めたが、読み進めるうちに、この世の中でこんなねじ曲がった考えをする書き手がいることに心が萎え、インタビューする気力が失せてしまった。花田編集長には失礼なことをしたと思う。

   私も齋藤も、リベラルを標榜している人間は、正しいとか間違っているというのではなく、確固たる信念を持っているウルトラ保守派には、よほどの下準備と覚悟をもって相対しないと、なかなか歯が立たない。そう思いながら読んだ。

   同じサンデー毎日のコラム「2050年のメディア」で、下村進が加藤晴之のことを「伝説のフリー編集者」だと褒めたたえている。一緒に仕事をした私としては嬉しい限りである。

   加藤は講談社を定年後に、PKO隊員の死を扱ったノンフィクション「告白」(講談社)をプロデュースして、これが講談社ノンフィクション賞を受賞した。その後も、JR東日本のドン・松崎明について書いた「暴君」(小学館)や、大きな話題になったトヨタの内幕を描いた「トヨトミの野望」(小学館文庫)などを次々にプロデュースしている。講談社時代には百田尚樹の「海賊とよばれた男」を出して大ベストセラーにした。やや短気なところはあるが、人間的にも魅力のある好中年である。

   サンデー毎日の編集長が隈元浩彦から坂巻士朗に代わる。隈元の長い編集長後記に、私が上智大学でやった2009年5月の「週刊誌がなくなっていいのか」というシンポジウムのことを書いている。隈元編集長がサン毎で目指したのが「雑誌ジャーナリズムの復権!」だった。まだ道半ばでの退任は心残りだろうが、その志は受け継がれると思う。

元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任。講談社を定年後に市民メディア『オーマイニュース』編集長。現在は『インターネット報道協会』代表理事。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)『現代の“見えざる手”』(人間の科学社新社)などがある。

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