小池百合子都知事が30日(2020年3月)、志村けんさんの死去を「最後の功績」と表現したことについて、ネット上では「人間が死んでいるのに心ない発言だ」という批判がある一方、「コロナの怖さを伝える意味ではそのとおりだ」という同感の声も非常に多く、賛否激論が起こっている。
小池百合子知事は30日、東京都庁で報道陣のインタビューに応じた。亡くなった志村けんさんについてのコメントを求められると、こう答えたのだった。
「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと存じます。志村さんといえば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり、それから笑いを届けてくださったと感謝したい」
と語った後、こう続けたのだった。
「最後にですね、悲しみとコロナウイルスの危険性についてですね、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その最後の功績も大変大きいものがあると思っています」
「志村けんさんは、功績をあげるために死んだのではない」
この発言について、批判的な人の意見はこうだ。
「誰からも笑い芸が愛されて、親しまれていたケンさんの突然の死に対して、最後の功績、の言葉はやはり誤解を招く比喩言葉だ。生きて笑い芸が万人に認められたことが功績であって、病原ウイルスによって突然亡くなった場合は、数日中は故人に紛らわしい比喩言葉は控えるべきだ。純粋なお悔やみ言葉を述べるにとどめるべきだったと思う」
「思いがあっても使っちゃいけない言葉がある。小池知事の思いをくみ取れというなら、望まずに死んだ志村けんさんの思いもくみ取れ。志村さんは、功績をあげるために死んだのではない」
「小池知事の言いたいことはわかるが、使った言葉が不適当だってことだ。立場上もうちょっと注意してしゃべってほしかった。『功績』は完全な上から目線。普通に『犠牲になられた』でしょ」
「葬儀も済まないうちに言うのは不謹慎とも取れる。ただ功績という言葉の引用については、違和感を持つ、持たないは個人差があり、一般論に落としづらいかな。ただ、失礼に当たるかはご遺族の判断であり、許せる、許せないを我々が論ずる方が失礼だと思う」
「医療従事者があれだけ警告しながら無視した若者がシュンとなった」
一方、「功績」という表現については、「言葉尻をとらえれば違和感を覚える人は多いだろうが、そのとおりだ」とする人が大半だった。
「今まで何となく『平気だろう』と思っていた人も志村さんがなくなって、とても悲しんだし、怖いことだと気が付いたはず。それは志村さんだったからそうなったということ。自分自身も志村さんにはそれほど思い入れはなかったのに、こんなに喪失感がわくなんて思いもしなかった」
「医療従事者の皆さんがあれだけ危険が迫っていると警告を発しているのに、自分は大丈夫と身勝手に外出する連中がたくさんいた。総理や知事がいくら注意喚起しても、相変わらずだった。イギリスみたいにトップが陽性にならんとダメなのかと思っていたのに、志村さんが亡くなったらシュンとなった。大きな警告となった。小学生の頃からのヒーローだった志村けんさんの死を無駄にして欲しくない」
「私もそう思う。日本の宝のような方が、このような死に方を見せてくれたことは、警鐘であり、ケンさんの最後の使命だったように思う。もちろん人それぞれ取り方はあるけど、私は小池知事に近い感覚。実際のケンさんは、穏やかでとても気遣いのできる方で、物静かで...大好きでした。心からのご冥福をお祈りします」
「『最後の功績』。この言葉を文面通りに受け取った人は...この言葉の裏にある小池さんの思いまで考察できた人は批判していないでしょうね。正直、今の小池さんは忙し過ぎてこのようなコメントになってしまったと思う。志村さんが亡くなった悲しみはあるけれど、今後も都知事として東京都民1000万人の命のことを考えないといけない立場だからね。分単位で行動している都知事として大変な状況なんでしょうね」
「志村けんさんの存在はまるで空気のようだった。それを失って...」
「正直、本当に志村さんの死のおかげで、全員ではないけど多くの人がコロナへの危機感を持ってくれたと思う。志村さんの死を無駄にしないためにももっと個々が考えるべき時だと思う」
「私自身、このニュースに接した際に小池知事と全く同じ考え方をしましたよ。同時に、表現に失礼があってはいけないな、と思った。もしも自分が言葉にするなら『老若男女皆が知る志村さんが亡くなった事を大きな警鐘として国民が広く受け止められたら、志村さんが死を賭して教えてくれた、という事かも知れない』かな、と心の中で自問自答しましたね。小池知事を支持する意識もない田舎在住の人間ですが、今ここで言葉狩りしても、多分何も生まれないし、感染の抑止に役立たないだろうし、志村さんも喜ばないと思います」
最後にこんな意見も。
「志村けんさんの存在はまるで空気のようになくてはならないけど...いつもそこに当たり前のようにある存在。だから普段はあまり気が付かないけど...亡くなってわかる志村けんさんは国民的師匠でした。みんなの心にいつも当たり前のようにいる人だから...その人がこうなれば...みんなの心に訴えかけるものはデカイ!こういうきっかけがないと心の底から大事な時だと理解できないことが悔しい。それだけの人材を失いました」(テレビウォッチ編集部)