赤木の遺書には「なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止符」と書かれていた
この当時、赤木は、自分も罪に問われる、検察に狙われていると怯えていたという。
家で療養している赤木に、久保田検事から電話がかかってくる。
「ぼくは職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。(中略)ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」
普通の生活を送ってきた公務員なら、検察の事情聴取と聞いただけで怖れ、震えるのは当然のことであろう。
財務省が全ての責任を負うべきなのに、最後は逃げて近畿財務局の責任にする。「怖い無責任な組織です」(赤木)
手記の最後に、「刑事罰、懲戒処分を受けるべき者」の筆頭に、佐川理財局長の名前を書いている。だが、「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を、公的な場所でしっかりと説明することが出来ません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(五十五歳の春を迎えることができない儚さと怖さ)」、最後に「気が狂うほどの怖さと、辛さ こんな人生って何?」という言葉と「さようなら」で結ばれている。
この手記を読んだ人間の何人かは、彼は弱い人間だ、何も死ななくてもいいのに、と思うかもしれない。私も読みながら、そう感じたことは事実である。
だが、赤木俊夫という人間は、巨大な財務省という組織と闘うためには、死をもって告発するしかないと考えたのであろう。赤木の妻には失礼ないい方になるが、夫の死の直後に、これを公表していれば、安倍政権と財務省に大きな打撃を与えられたはずである。
もちろん、今回のスクープを、コロナ騒動でうやむやにしてはならないこと、いうまでもない。森友事件も加計学園問題も、安倍首相と妻の昭恵の関与は明らかだと思うが、メディアは彼らを追い詰められていない。